No.27 聖なるアドリブ

「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。」

コリント人への手紙第二 3章17節

これまで、腹話術の台本は、完全原稿を仕上げて、徹底的に暗記し、その後は台詞を忘れる、ということを述べてきました。この「忘れる」段階は、非常に重要です。なぜなら、演技当日ぎりぎりまで暗記していて、そのまま、聴衆の前に立ってしまったら、頭の中は台詞だらけで、相手の顔も目も見ずに、覚えたことを発表するだけになってしまうからです。こういう時は、演じている間中「早く終わらないかな」と思っており、終わったらほっとする、というような心理状態に陥ることでしょう。これでは腹話術の楽しさも喜びも味わえないばかりが、第一、とても不自由だと思います。

確かに、せっかくユーモアを入れたのに、正確に語れなかったり、間が悪かったためにおもしろくなくなるということはありますが、今日は、本番で必要な「アドリブ」について、考えてみましょう。

ここでいうアドリブとは、最初からうる覚えのために、台詞が毎回変わってしまうという場合のことではありません。台詞は十分正確に覚えているけれど、本番で、「思いもかけないことば」が、術者や人形の口から飛び出すというようなケースです。これは、全く台本にも書いてないし、自分でも本番で語るであろうことを予想だにしていない「想定外」の台詞です。そして、そのようなアドリブは、多くの場合、爆笑を引き起こしたり、その場の空気が一瞬のうちになごんだりして、大変効果のあるものです。そのようなアドリブはどういう時に起こるのでしょうか。

聖霊の働き

もし、みなさんが演じる前に、十分な準備を終えてから、「聖霊様が働いて、私を自由にしてください」と祈って臨むなら、このようなアドリブは起こる可能性があります。みなさんの心がすでに、台詞の束縛から離れ、聖霊の導きにゆだねているからです。私たち神の子は、聖霊の内住をいただいていますから、何をするにも聖霊のご支配に身をおくことは良いことが起こる条件です。こんな時の台詞については、「台本からそれた」「間違った」と思わず、「神様が今働いてくださったのだ」と受け止め、感謝しましょう。

人形が生きている証拠

これは、本番で思いがけない台詞が出たとしても、実は、その準備は、日頃の心がけによってなされていた、ということができます。つまり、パペットの〇〇ちゃんを常に人格のある存在として扱い、語り合い(祈り合い)、練習していると、人形の心の中に様々な思いがすでに溜められていて(感情豊かに育ち)、その結果、本番で人形の本音が飛び出す、という現象なのです。つまり、人形は術者の操りによって語るのではなく、独立して(勝手に)語り出すということです。こんな時こそ、観客にとっては、一番スリルがあるし、おもしろいし、術者にとっても(驚きますが)人形を頼もしく思えることでしょう。

観客の反応によって引き出されるもの

演技の最中で、思いがけなく、子どもたちが質問したり、口をはさんでくるということは、そう珍しいことではないでしょう。そんな時は、どうしましょうか。まずは、機転をきかせて、人形に答えさせることもできます。場合によっては、術者が相手をすることもあるでしょう。そんな時の台詞もアドリブであることは確かです。ただし、この場合、その子どもが非常に大切で、貴重なことばを発したなら、こちらもそれに答える必要がありますが、もし、受け答えをすることによって、話が脱線したり、収集がつかなくなってしまうようであれば、やり過ごして先に進めましょう。あるいは「後で、一緒にお話ししようね」と約束することもできます(ただし、約束は守ること)。このようなことについては、演技する前からある程度は予測できることですから、決して驚き、あわてず、心構えをしておくことが必要です。

「聖なるアドリブ」は、いのちの流れる会話です。

2014年1月24日