No.73 証し台本の書き方 ②

ただ一人のために

「あなたがたのうちのだれかが羊を百匹持っていて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」

ルカの福音書15章4節

 前々回の霊想では「いのちのある腹話術」について論じました。それを読んで「私にはとても無理だ」と感じられた方がおられるかもしれません。いのちなるイエスさまを信じて救われているのに、どうしてそんなに重荷となってしまうのでしょうか。おそらく、ご自分の技術や台本の未熟さに心が奪われているからではないでしょうか。今回は、特に自分の証し台本に自信をもてない方々のために、単純で基本的なアドバイスをしたいと思います。
 今、朝ドラ『ちむどんどん』を見ているみなさん。物語の中で、なかなかいい台詞が語られているのに気が付いたでしょうか。新聞社の編集長が、「記事というものは、読む人を思い浮かべて、『この人に届けたい』という情熱を持って書くものだ」というようなことを言っていました。そして、それは料理でも歌でも同じなのだという展開でした。料理は「こういう人に食べさせたい。おいしいと言ってもらいたい」と食べてくれる人を思いながら作るもの。歌は「この人に聞いてほしい。喜んでほしい」と相手の顔を思い浮かべながら、心を込めて歌うもの・・・というようなことでした。その原則は、腹話術、特に証し台本でも適用できるのではないでしょうか。

1.たったひとりのために聞かせたいという思い

 みなさんは、腹話術という神さまからの賜物を用いて、福音を伝えたいと心底願っておられますか?それなら、まずは誰に伝えたいでしょうか?まだイエスさまを知らない人、信じていない人、毎日救いのために祈っている人がひとりでもおられるでしょうか?もし、ひとりでもいたら、まずはその人の顔を思い浮かべながら台本を書いてください。「私がどのようにしてイエスさまを信じるようになったか、是非この人に聞いてほしい」と願っているなら、必ずや情熱は上から注がれ、力が与えられ、どんな語り口で伝えたら良いか、知恵も与えられることでしょう。
 私の例で言えば、私の腹話術人生30年は、まさに「母の救いのため」一色でした。「芸名披露なら母は来てくれる。その時、母に語りたいのはこの証しだ」と思って、『ふるさとのお母さん』という10分の台本を書き、作詞作曲した歌を加えました。腹話術を始めてたったの3年目です。その後も、「公のホールやステージなら母は来てくれる」と思い、“ステージ伝道”に励みました。その結果、合計4回、母や家族はかけつけてくれました。その祈りと演技を主は受け入れてくださって、91歳で亡くなる50日前に、母は『神ハ愛』というボタンを並べた文字の作品を作成しました。私にとっては、それが母の最期の信仰告白として、大きな慰めとなったのです。

2.救いの証し台本に力が注がれるために

(1) みなさんにとって、個人的に「救われてほしい」と願う人のために、日々祈り続ける。
(2) その人に語り掛けるように、伝えたい内容を素直にまとめる。
(3) その人が来られる会場(集会)で演じられるように、祈り求める。
(遠距離であれば、演じたものを録画して送るなども考える。)

3.一般的な集会の場合

(1) 特に未信者に届くように祈って台本書きに臨む。
(2) 救いの焦点を明確にする。(神、罪、救いについて)
(3) 相手が興味をもてるような構成、人形操作、衣装などを工夫する。
 最近、NHK第一午後6:50頃から登場する「おかえり天気」の“市村さんとしゅと犬くん”は、腹話術でもなく、ただのパペットなのに、どうして人気が出ているのでしょうか。その愛らしさはどこからくるのでしょうか。みなさん、一度立ち止まって、分析してみてください。

2022年6月24日