No.19 メッセージ台本の作り方②

「そのとき、主を恐れる者たちが、互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。」

マラキ3:16

腹話術の楽しいところであり、むずかしくもあるところは、話をひとりで「語り聞かせる」わ けではなく、人形との「会話」で展開していく点でありましょう。その点、多くのアマチュア腹 話術師に見られる欠点は、話がいっこうに会話にならず、まるで術者ひとりで演じているかのよ うに感じられることです。すなわち、術者自身が言いたい台詞を、人形と交互に分けて語ってい るだけの話し方なのです。それでは、あくまでも「一人語り」であって、「会話」ではありませ ん。腹話術が「会話」であるためには、ふたつの人格が、互いに違う考え方、感じ方をしなが ら、ひとつの話題について「語り合う」ことが必要になってきます。しかも、その会話はふたり の間だけではなく、観客(聴衆)をも巻き込んで、共に語り合う形になるわけです。それは、術 者、人形、観客をつないで、言わば“逆三角形”を描くような関係ともいえます。そして、さらに は、その会話(対話)を上から見て、聞いておられる方(神)がいるので、正確には、“三角す い”であるともいえます。この関係がどういうことを意味しているのか、今日はその点につい て、もう少し深く考えてみましょう。

人形との関係

まず、台本を書くときに、自分が言いたいこと(メッセージ)を明確にすることが必要だと、 前回も学びました。しかし、それだけを考えて、すぐに台本を書き始めてしまうと、「一人語 り」に陥る危険性があります。人形のことを忘れているからです。そこで、「この話は、人形○○ にとっては、どう感じられるのだろう。主人公がこう言った(行った)ことは、○○にとっては、 理解できるのだろうか、それとも不可解で、私とは別の受け止め方をするのだろうか・・・ 等々、様々な角度から、人形の立場、気持ちになって考えることが必要です。そして、それを正 直に表現することばを選んで台詞にするのです。

観客との関係

腹話術は、ある意味で“カウンセリング”的な役割を果たすことができるものです。つまり、 人々は、術者と人形のやりとりを客観的に見て(聞いて)いるだけではなく、無意識にその会話 に参加しているからです。さらに言うと、術者の台詞よりも、人形の反応の方に興味を持ちます から、人形がどう答えるか、その台詞を聞いて、「そうだ、そうだ」と思ったり「いや、違うだ ろう」と考えたりしているわけです。ですから、人形が、術者に対して、また、その話の内容に 対して、どういう態度で答えているかは、ものすごく重要になってきます。ちなみに、笑いをと るために、ちぐはぐな台詞をいえば、観客は混乱しますし、いとも簡単に「わかった。イエス様 を、信じるよ」と言ってしまえば、観客は、逆に反発を感じるでしょう。術者は、常に、人形の 心と真摯に向き合いつつ、観客の心をも大切にしなければなりません。

神との関係

腹話術を通して、何らかのメッセージを人形と共に観客に語るということは、その場に目に見 えないけれども主がおられ、その会話に聞き耳をたてておられることを覚えていなければなりま せん。神様は、私たちの会話の内容が、ご自身のこころと調和したものであるかどうか、ご自身 の栄光をあらわすものであるかどうかに、注目しておられます。ですから、術者は、伝えたい メッセージが観客に喜ばれるか否か、だけに気を配るのでは不十分です。ある時は、反発される かもしれないけれど、伝えなければならない真理であるなら、大胆に語らなければなりません。 そういう時は、格別に祈りをつみ、聖霊に依り頼むことが大切です。私も、ある子どもキャンプ でイエス様の復活を伝えたとき、聞いていた子どもの一人が「嘘だ!」と叫んだのを思い出しま す。内心驚きましたが、正直に反応したその子どもには、“信じられない復活”の話が心の奥深く 刻まれたことでしょう。その時は、受け入れられなくても、将来、いつかどこかで、その真理と 対峙するに違いないのです。それこそ、福音の種を蒔くということです。

2013年2月22日