No.24 メッセージ台本の作り方⑦

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」

Ⅱテモテ3:16

今回は、ずばり「聖書台本」を書くときの心構えについて、考えてみましょう。「聖書台本」というのは、「聖書を題材にしたお話」だと思っている方が多いかもしれませんが、それは間違いです。そのように考えると、台本がほとんど“聖書物語”で終わってしまったり、ただ“あらすじ”をおもしろおかしく語っているだけになってしまいます。本当の「聖書台本」というのは、「聖書のメッセージを伝える台本」であって、メッセージそのものと言ってよいでしょう。確かに、腹話術で語るわけですから、人形を使い、会話として話は進むわけですが、本質的には、ストレートメッセージと何の変わりもありません。(人形はあくまでもツールなのです。)すなわち、そこには、選んだ聖書箇所そのものが語っているメッセージというものがあり、術者は、それが何であり、それをどう受け止めたらよいか、生活の中でどう適用したらよいかを祈り求めなければならないのです。それは、いたって霊的なことであり、この作業をするためには、聖書そのものを何度も読むだけではなく、聖霊に導かれるということが必要です。

それでは、聖書台本を書くプロセスにおける聖霊の働きについて、私の体験から少し語らせてください。

(1)聖霊は、台本にふさわしい聖書箇所を教えてくれます

台本というのは、どこで、どんな集会で、誰に、どのくらいの時間演じるかが定まらないと、書けないものです。それは、少なくとも2か月前に教えていただく必要があります。そして、決まったら、まず、どの聖書箇所を台本にしたらよいか、祈るということが必要です。新作が大変なので、今まで書いたものですませよう、という発想はいけません。それを用いることが集会の目的にぴったりきて、心に平安があるなら別ですが、(その場合でも「その日のために」もう一度見直して、一部書き直すことも必要です。)そうでない場合は、与えられた場にふさわしい新作に取り組まなければなりません。その箇所はどこが一番良いのか、示されるように導きを祈ります。

(2)聖霊は、聖書のメッセージをはっきり教えてくれます

これは、みことばを語る時に、どうしても必要な段階ですが、他人に語る前に自分が教えられなければなりません。選んだ聖書箇所を何度も読み返しては黙想し(もちろんわからない箇所は調べ)、神が語りかけているメッセージに耳を傾けます。そして、教えられた霊的真理について、ノートに短く書きだしてみましょう。それがいくつかある場合には、そのうちのひとつを選んで、台本の中心真理とすることができます。その場合、中心聖句を定めると、さらにポイントがはっきりします。

(3)聖霊は、みことばを日常生活とつなぐ働きをしてくれます

どんなメッセージも、「適用」がないものは、真理の提示だけで終わっていまい、みことばの力を発揮することはできません。腹話術台本であっても、まず現実問題から始まり、みことばの真理に聞き、それを現実に適用する―という流れが必要なのです。それは、語る対象の年齢や、かかえている問題や、信仰の有無などによって違ってくるものです。そのようなことは、いつも接している相手ならよくわかりますが、一度も会ったこともない他教会(他団体)の人々の場合には、全くわかりません。ですから、そんな時こそ、聖霊に聴き、普遍的真理をどのように適用したらよいのか、その知恵をいただかなければならないのです。

(4)聖霊は、台本の台詞を的確に定めてくれます

さあ、十分書きたいことが決まったら、実際に台本に取り掛かりますが、書いていくプロセスにおいても、聖霊に依り頼まなければなりません。表現したい内容にぴったりくる台詞は何か。人形と二人分の会話で展開しなければならないという複雑な作業が、スムーズに進むように、聖霊に聴きながら筆を進めるのです。迷うときは祈ってみると、必ず「これだ!」ということばが閃き、心が平安に満たされます。台本を書く時には、聖霊の助けをもっともっといただきましょう。