No.44 腹話術と信仰成長①

- 傷ついた心の癒し -

「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され・・・彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」

イザヤ書53章5節

クリスチャンのみなさんは、何のために腹話術をなさっていますか。クリ スチャンだからといって、必ずしも伝道・証しのためにやらなくてはならない ということはありません。趣味のひとつでも結構だと思います。けれども、神 の子は、何をするにも主の栄光のためですから、たとえ趣味の範囲であっても、 「キリストにあって」取り組むことになるでしょう。そうすると、腹話術とい う難しい技術を伴い、かつ人前で演じる芸術的なものを続けるには、祈りなく してはできないと思います。そして、そのような取り組みの中で、必ずや、自 分の信仰が問われ、学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか。

今日は、私の個人的な体験からの証しを少しお分かちしたいと思います。

児童伝道への導き

私は、今から40年前に、神学校の在学中に腹話術を習いました。「子ども たちに聖書の話をするのに有効な視聴覚教材のひとつ」という感覚で始めたと 記憶しています。ところが、あまりにも人形がかわいくて、おしゃべりが楽し くて夢中になりました。そして、毎日かかさず練習して、どんどん上達してい きました。すると、不思議なことに、卒業後は、あちこちの子ども会で用いら れるようになり、とうとう、教会学校の子ども伝道と教師訓練という分野で奉 仕するようになりました。それは、かれこれ10年間続いたものでした。

傷ついた心

当時、腹話術子ども会というとたくさんの子どもたちが集まりました。とこ ろが、主催者側の心ない態度やことばで、私は、ひどく傷ついてしまったので す。腹話術なんて、所詮お笑い芸だ。腹話術で真面目な伝道メッセージなどできない。“人寄せパンダ”か“ちんどん屋”だ・・・等々。それらが私には、 人形には価値がないというニュアンスに響き、従って、それをやっている私も 奉仕者として価値がないかのように、心が痛んだのです。その結果、児童伝道 に対する熱意も失い、「腹話術=子ども」と思われることに、ひどく抵抗を感 じるようになってしまいました。それからは、できるだけ大人対象の集会で奉 仕できるように、内容も必死で大人向けの台本に挑戦していきました。

癒しへの道

このような深い心の傷を受けた過去の10年間に関して、根本的な解決には、 何と30年もかかったのです。それは、今年のイースターで、どうしても子ど もたちにメッセージを語らなければならない場が与えられた時でした。マルコ 10:13~16から、自分がかつて教師訓練会で「子どもたちを軽んじては いけない」と訴えていながら、それは本当の信仰告白ではなく、傷つけられた と感じていた私自身のプライドをかけた怒りであったと、聖霊により気づかせ ていただいたのです。その時、自分の罪の深さに愕然とし、自分は十字架につ けられて当然の罪人であると認め、悔い改めさせられました。そして、十字架 上のイエスさまから赦しのことばをいただき、やっと平安をいただいて、メッ セージの奉仕をすることができたのでした。

さらに、半年後、親しい信仰の友との会話の中で、懐かしい人形タカちゃん の記事が載っている本と、アメリカでの記念写真を見つめた時、やはり聖霊が 私の人生を照らしてくださいました。30年前、タカちゃんと共にどれほど豊 かに用いられたか。そもそも、神学校で、腹話術に出会わせてくださったのは、 神さまだったのだ。神さまが私という人間をユニークに造ってくださり、私に ふさわしい賜物として腹話術を与え、あの時代に、子どもたちにみことばを伝 えるために用いてくださったのだ。私の人生は、これで良かったのだ!という 喜びが魂の底からほとばしってきたのです。この時、過去に経験した“傷つけ られた”という出来事は、すっかり癒され、恵みに変えられてしまいました。

腹話術は、自分の能力を誇示するためにあるのではなく、あくまでも、主を 知るために、主によって与えられた賜物です。ですから、主はあえて苦しみを 与え、その葛藤を通して、私たちの信仰を成長させてくださるの だと、今の私は信じることができるのです。

2017 年10月27日