No.57 デボーションを見直そう

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」

ペテロの手紙第一2章2節

前回は、いのちの通った聖書台本を書くためには、術者が「神からのメッセージを受け取っていること」と「神の御声を聴いていること」が必然だということを学びました。それでは、どのようにしたら、神の御声を聴くことができるのでしょうか。それは単に台本にする聖書箇所を必死に学ぶことによるのではありません。(もちろん、台本作成のプロセスの中では、聖書研究は必要ですが。)それ以上に、まずは、神の子として、毎日神との交わりを欠かさないという習慣が大前提となるのです。私たちが、肉体の健康維持のためには、毎日バランスのとれた食事が必要であるように、霊的健康を維持して、神の子として信仰が成長するためには、毎日、深い神さまとのいのちの交わりが欠かせないものとなります。

皆さんの中には、洗礼を受けてから数年の方もいれば、30年以上もたっているという方もいるでしょう。けれども、あえてお聞きしますが、「日々のデボーションは祝福されているでしょうか?」「毎日、イエスさまとお会いしていますか?」「神さまの御声が聞こえますか?」この質問に対して、失礼ですが、「はい!」と明確に返事ができる方は少ないのではないでしょうか。このように語る私自身も、救われて3年後に献身して神学校に入ったにもかかわらず、その後も長い間、デボーションによって主と出会うという経験に乏しい者でした。毎日30分はテキストに従って聖書を読みましたが、ほとんどは頭の知識で終わり(ノートまでとりながら)、その後の祈りは、聖書とは関係のない自分の必要を訴えるような祈りに終始していたのです。幸いにある時、その虚しさに気づき、デボーションを根本的に見直す作業を始めたことでした。

今回は、そのような問題を意識しながら、「主と出会うデボーション」について、共に考えてみたいと思います。

(1)時間を聖別する。

クリスチャンといえども、年齢や職業などによって、生活スタイルは一様ではありません。とにかく仕事や家事・育児で忙しい方々にとっては、朝の15分を聖別することもむずかしいかもしれません。けれども、みことばを通して神さまと向き合うためには、その15分を確保するために、前夜15分早く寝て、15分早く起きる習慣をつけましょう。デボーションは一日の始まりにすることが大切です。(もちろん、夜寝る前には、一日の感謝をささげます)

(2)一人になること。

「時間がないので、通勤電車の中でスマホでテキストを読んでいます」という方がいたら、それは悪いことではありませんが、デボーション代わりにはなりません。静かな場所で、たった一人で、主と向き合う時間がどうしても必要なのです。

(3)魂を主に向けること。

デボーションは「〇〇しながら」ではできません。食器を洗いながらメッセージを聴くことはできますが、それでは心が割れてしまいます。すべての作業をやめて、渇いた心で、主だけに集中してください。そして「主よ、お語りください。しもべは聴きます」という霊的飢え渇きをもってみことばを読みましょう。

(4)心に響くことばを黙想する。

デボーションテキストにそって、数節を読むか、一日に一章ずつ読むかは自由ですが、すぐに解説に飛びつかないで、自分の心に響く箇所があったら、しばらく黙想しましょう。なぜ、これが心に留まったのか、神はどのような方だと気づいたか、神は私に何を語りかけておられるのか、私は具体的にどう応答していったらよいか・・・など、あくまでも自分自身に適用していきましょう。

(5)みことばへの応答として祈る。

まず神を賛美し、罪が示されたら告白し、主の恵みに感謝し、心にかかっている人々のためにとりなし、最後に自分のために祈ります。心の奥底にあることは何でも打ち明けましょう。聖霊が働くと、みことばが神の声となって私たちの魂に語りかけてくださいます。それに聴き従いましょう。

2019年3月22日