No.61 聖書台本がメッセージとなるために③
-導入の役割-
「あなたがたは、西に雲が出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言います。そしてそのとおりになります。また南風が吹くと、『暑くなるぞ』と言います。そしてそのとおりになります。」
ルカの福音書12章54~55節
聖書片手のメッセージでも同じことですが、メッセージには聴衆がいて、話を興味をもって聞いてもらわなければなりません。そうでなければ「伝えた」ことにならないからです。腹話術台本の場合、「今日は、イエスさまが話してくださった『放蕩息子のたとえ話』をします」と切り出したら、相手はどう思うでしょうか。「ああ、あの話か」「なんだ聖書か」など、あまり興味をもつことはできないでしょう。そのために、あいさつの後の、第一声がとても重要になってくるのです。それを「導入」と言います。今回は、「導入」について、その役割や留意事項を考えてみましょう。
「導入」の目的
これから話す内容に興味を持たせる
主イエスは、当時の民衆に対して、日頃経験している事柄を提示して、霊的な内容を語られました。(例:羊飼い、門、いのちのパンetc.)それと同様に、私たち日本人も、聖書の真理を理解するためには、まず日常的によくある事柄から入られると、「なるほど」と思い、「それがこれからの話とどう関係があるのかな」と興味をもつのです。そのようにして、「相手の心をつかむ」ことが導入の大きな目的です。
中心真理に導く
かといって、導入は、ただ経験している事柄であればよいわけではありません。その話が、これから語るべきみことばの中心的真理とつながっているかどうかが問題なのです。たとえば「お父さんを中心としたメッセージ」であれば、「みなさんのお父さんはどんな人ですか?・・・人間のお父さんは厳しすぎたり、優しすぎたりしますね。では、天のお父さんの神さまはどんな方なのでしょう。今日はそれがよくわかる話をしましょう」といった具合です。
「導入」の注意点
適切な短さであること
導入のために使う時間は、全体を「導入、本論(ポイント3つ)、結論」とすれば、五分の一程度の長さが適当でしょう。15分の話であれば、最初の3分ほどで、それ以上長くては本論になかなか入れません。
聴衆の年齢や経験と合致すること
メッセージは誰に向けて語っているのか。特に年齢層を考えたり、彼らが日頃直面している出来事はどんなことかを知らなくてはなりません。もちろん、集会によっては、子どもから大人までいて、ターゲットを絞れないこともありますが、主なる対象を考えて、日常生活から話題を取り上げましょう。
「導入」の失敗例
自分の経験を長々と語ってしまうこと
私たちは、聴衆の経験を想像するより、自分の経験を語る方が楽ですから、つい「救いに至ったプロセス」などを長々と語ってしまうことがあります。でも、それではみことばを語ることにはなりません。メッセージとは「聖書(神)は何といっているか」であることを忘れないようにしましょう。
物語の結末を先に教えてしまうこと
笑い話のようですが、「今日は、ダビデさんが巨人のゴリアテと戦って勝利した話をします」といったような導入ではどうでしょうか。最初から話の結末を教えてしまっては、全く興味がわきませんね。こういう導入はご法度です。
内容と関係ないことを語る
人々の心をつかもうとして、これから話す聖書箇所とは全く関係ない話をする場合があります。「では今日の説教に入る前に、ちょっと小話を一席」と言って、落語のように笑わせる牧師がいますが、それはどうでしょうか。私個人的には賛成しません。人間はおもしろい話だけはよく覚えていますから、その日の説教を打ち消してしまうようでは聖書の権威がおろそかになるからです。
2021年4月23日