No.70 エンターテイメントと伝道

「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」

マタイの福音書 24章14節

 実は、今さらのような問いかけですが、そもそも「腹話術で伝道ができるのでしょうか?」と、みなさんにお聞きしたいと思います。私が25歳で腹話術を始めた頃、当時の先生は“寄席の腹話術師で牧師”というユニークな方でした。ある日レッスンの中で「腹話術で伝道なんかできるわけがない」と言われたので、私は大ショックを受けたものです。また、すでに10年間子ども会で奉仕した後、アメリカで出会った有名なテレビ伝道者の方に「腹話術なんてエンターテイメントですよ」と言い放たれ、これまた悔しい思いをしました。そして、心の中で「私は絶対に腹話術伝道を追求してみせる!」などと息巻いたものです。しかしながら、自分がどう取り組んでいようと、あくまでも招かれ奉仕者である以上、相手の教会が何を期待し、どんな目的で私を招いてくださったのかが、結果を左右する大きな要素となります。そして多くの場合、私の祈りや願いと、教会の人々の期待とはかなり隔たりがあり、そのすれ違いからくる葛藤は、実に現役を引退するまで続いたのでした。

そこで今回は、私自身が何を目指し、何に悩んできたかをみなさんにお分かちし、みなさんにとっての腹話術を考える参考にしていただきたいと思います。

教会の先入観や期待

腹話術は芸事であり、エンターテイメントである

今から40年も前には、教会には子どもたちがあふれていました。スマホもない時代、「腹話術子ども会」には、たくさんの子どもが押し寄せてきました。ですから、腹話術は明らかに“人寄せパンダ”的役割だったわけです。たとえ、大人の集会であっても、とにかく、「腹話術なら、おもしろいはずだ。笑わせてくれるに違いない。だから未信者も集まるだろう」という期待がありました。ですから、おもしろくて笑いのある腹話術が求められていたのです。

ゴスペル腹話術師は伝道者ではない

日本で「ゴスペル腹話術」という言葉が定着しているかどうかはいまだに定かではありませんが、とにかく、腹話術を用いて教会で奉仕する時には、明らかに“伝道者”とはみなされません。ですから、最初から「特別伝道集会」のような内容は期待していないし、むしろ伝道メッセージなどされては困るわけです。楽しい腹話術とその後、ちょっとした救いの証しでもしてくれればそれで十分なのです。教会が腹話術師を呼ぶ一番の目的は、その集会をきっかけに、未信者が教会に足を運んでくれること、教会の敷居を低くすることだからです。

私が通った葛藤

ゴスペル腹話術師か腹話術伝道者か

私は、最初の10年間は、子ども会で聖書の話をするために腹話術を使っていました。今思えば、ほとんど「聖書物語」です。その後アメリカの腹話術と出会い、あらためて、腹話術を用いた伝道とはどうあるべきかと祈り求めるようになりました。そして、教会に対しては、「私は腹話術伝道者です」と名乗るようになりました。そこには「私はエンターテイナーではありません」という宣言も含まれていたのです。ところが、一方で、「腹話術は芸術である」という意識ももつようになったので、一般のホールでの公演会では、「ゴスペル腹話術師」と名乗りました。伝道色より、芸術色を強調しようと思ったからです。その結果、自分は伝道に召されているのか、芸術に召されているのかと、神さまからの召しの問題をかかえてしまいました。

台本の中に福音(メッセージ)をいかに組み込むか

アメリカから帰国してからの私は、「ドラマ腹話術」という独自の創作台本を演じるようになり、聖書そのもののメッセージをどう組み立てるか、という研究はしていませんでした。おそらく、腹話術の芸術性を重視してきたことが原因だと思います。ですから、その創作台本の中に、福音の要素をいかに組み込むかに腐心していました。創作といっても、ほとんど実在の人物との出会いが元になっていましたので、いわゆる証し台本であったとは思います。それらを教会で演じる時は、最後に必ず自分の救いの証しをさせていただきましたが、心の奥底では何とも言えないフラストレーションをかかえていたものです。

子ども向けか大人向けか

私は奉仕を引き受ける時、いつも対象を確認して、台本を選んでいました。けれども、集会後は必ず「子どもにも見せたかった」「子どもだけではもったいない」という反応がありました。私の心は演じる内容にこだわりがあったのですが、観る側は、内容より表現方法に興味があったのでしょう。このギャップにはいつも悩まされました。

振り返って思うこと

腹話術とは何か

腹話術はやはり、エンターテイメント性をもった芸術的賜物だということです。このエンターテイメント性は、人々の心を開くために有効である、と受け入れることの方が自然です

腹話術を用いてどうメッセージを伝えるか

これはすべての賜物について言えることですが、腹話術も万能ではありません。聖書台本であろうと証し台本であろうと、腹話術だけで、メッセージを伝えることには限界があります。その後に、ショートメッセージや証しなどを加えて語ると、非常に効果があると思います。

腹話術伝道の可能性

神さまは、この終わりの時代に、全世界に福音を伝えるためには、何でもお用いになります。腹話術もユニークですがそのひとつでしょう。聖書片手では歓迎されない所にも、人形と一緒なら入ることができます。どこでどう用いたら効果的か、祈りと知恵が必要でしょう。

2022年3月25日