No.71 いのちのある腹話術
ヨハネの福音書 14章6節
何事もそうなのでしょうが、腹話術は実にむずかしいというか、奥の深いものです。今回は、この腹話術を習い始める適齢期、ゴスペル腹話術師に必要なもの、そして、それをどのように身につけたらよいか、など、いのちのある腹話術について考えたいと思います。
腹話術を習い始めるのは何歳頃がふさわしいか
何事も技術を伴うものは、若い時から始めるのが良いに決まっています。私がアメリカのケンタッキー・コンベンションに参加した時、集会は大人の参加者がほとんどでしたが、中には、幼い子連れの人たちがいました。その子どもたちも小さな動物パペットを手に、楽しそうにステージを見ていたのです。日本でも、小学生の子どもと共に親子で講習会に参加して、そのまま大人になるまで続けたという例を知っています。要は、遊びながら始める年齢が一番なのです。
とはいえ、「思い立った時が最善の時」ということもあります。私自身は25歳で始めましたが、動機は神学校の勉強に疲れて「自己表現」をしたかったからでした。それが卒業後、児童伝道に導かれましたから不思議です。私の友人は、50歳でご主人を亡くし、それから腹話術を始めて、85歳まで続けました。ずっと児童伝道でしたが、晩年は被爆体験の証し人として用いられました。さらに忘れられない姉妹がいますが、何と80歳で学び、それから2年間、ひたすら聖書台本で奉仕し、83歳で召されたのです。すべてに時ありではありませんか!
技術以上に必要なのは「いのち」
信仰があってもなくても、腹話術の技術を身につけ、上達するのは、だいたい30代から40代が山です。私は50歳で限界に到達しました。一般的には、その後は、身に着けた技術でいかに表現するかの世界になるでしょう。60代以上になれば、当然ながら、体力(筋力)、気力、暗記力など、次第に衰えてきますから、毎日トレーニングしないと、どんどん技術は落ちていきます。
ところが、それを踏まえた上での、クリスチャンにとっての希望は、“信仰の成長は年齢に関係がない”ということです。「ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリント4:16)とあるように、ゴスペル腹話術師には、最も大切な「キリストのいのち」が与えられているのです。しかも、これが一番必要なものなのです。
「芸は人なり」とも言われますが、腹話術は術者の人格がにじみ出るものです。話の内容や演じる態度によって、まずは信仰があるかないかが伝わりますし、その上、クリスチャンでも高慢であるか謙遜であるか、なども伝わってしまうのです。(これは怖いことですが、厳粛な事実です!)
ゴスペル腹話術師を自認する方々は、自分の演技によって、内なるキリストのいのちが流れて、観客の霊(心)に届いていくことを最も祈り求めるべきでしょう。
いのちを豊かにいただくための鍛錬
デボーションの聖別
いのちのある腹話術といっても、演じている時だけなんとかしようとしてもどうにもなりません。ひとりの神の子どもとして、毎日の主との交わりが土台なのです。朝のデボーションでは、ただ聖書や解説書を読むのではなく、みことばを通して主と語り合う時間(黙想の時)を必ずもちましょう。
みことば体験
みことばは、従い、行う時にこそ、真価が発揮されます。頭だけの知識には霊的力がありませんし、かえって、知識は人を高ぶらせます。キリストを体験的に知っている人こそ、いのちのある腹話術師になれるのです。是非、日々の基礎訓練とともに、主とのいのちの交わりを大切にしてください。
2022年4月25日