No.2「証しを書く」

救いの証し

「死からいのちへ移された神」

キリスト教東京鵜の木教会 高橋めぐみ私は群馬県高崎市で、両親と兄弟4人の家族の末っ子として生まれました。父は私が物心つく頃には、毎週日曜日、教会の礼拝に通っていました。日曜の朝には、「ルーテルアワー」というキリスト教のラジオ番組が流れ、クリスマスにはツリーを飾り、私は子ども心に、「いつか教会に行ってみたい」というあこがれを抱きながら育ちました。ところが、私が高校1年生の秋、その父が突然鉄道自殺をしてしまったのです。後で知らされたことですが、父は何年も心の病で苦しんでいたようです。けれども、葬儀は仏式だったりして、それが当時の私にとっては、大きな躓きとなってしまいました。もう、どんな宗教も、神も信じまい、自分の力で生きて、幸せになって見せると決心しました。

そして千葉の大学に進学したものの、私は猛烈な虚無感に襲われるようになりました。もし神が本当にいないとして、人生のすべてが偶然ならば、生きる意味・目的とは何なのだろう。どんなに仕事に恵まれ、家庭を持ち、子どもを育てたとしても、みんな最後は死ぬ。死に向かって、どうして苦労して生きるのか・・・そんな虚しさを埋めるために、色々なことを試みましたが、すべてがうまくいきませんでした。特に異性関係では互いに傷つけあうばかりで、相手も愛せず、自分も愛せず、ひどい罪悪感に陥るばかりでした。「こんな人生なら、早く終わりにしたい」とだんだん自殺を考えるようになり、夜中に線路のそばをうろうろしました。そして「明日は」と思ったその晩、耳元で声が響いたような気がしたのです。「求めよ、さらば与えられん!」私はとっさに「神さま、もしあなたが本当におられて、愛のお方だというなら、私に生きる力を与えてください!」と心の中で叫びました。

数日後、近くの教会を訪ね、牧師と語り合い、その晩「私には神さまが必要だ」と思いました。それから、日曜礼拝に出席するようになり、メッセージを聴いていたのですが、ますます罪意識が強くなり、苦しくなりました。ある日、礼拝後、椅子に座り込んでいると、牧師が近寄ってきて「めぐみさん、あなたは自分が罪人だとわかっているでしょ。その罪を赦すために、イエスさまが十字架にかかってくださったのですよ」と語りかけたのです。その時、私はハッとして、その日は、アパートに帰って徹夜して聖書を読みました。すると、ローマ人への手紙の初めにさしかかった時、罪とは、あれこれの汚れた行いなどではなく、造り主の神さまから離れていることなのだ、ということがわかってきたのです。そして、その根本的な人間の罪を赦すために、イエスさまが十字架にかかり、復活してくださったのだと気が付きました。

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました」

ローマ人への手紙4章25節イエスさまが私の代わりに死んで罪を赦してくださった。それなら、私はもう自殺なんてしなくていいのだ。これからは、このお方についていこう。そうしたら、新しい人生を生きられるに違いない、と思いました。その日、夜が白々と明ける頃、私はひとり、部屋でひざまずき、イエスさまを信じるお祈りをささげたのです。 それは、大学2年生の6月でしたが、7月の礼拝で、信仰決心を公にし、その年の10月にバプテスマを受けました。

それ以来、私の目から見える世界はモノクロからフルカラーのように一変しました。うれしくて、うれしくて、教会には水曜祈祷会も休まず、日曜は礼拝前から夕拝まで、一日中入りびたりでした。聖歌隊のメンバーとなり、青年会で活動し、教会学校の教師としても奉仕しました。そうして3年目、小学校の教員になった年のキャンプで、神さまから献身の促しを受けたのです。

「あなたは・・・わたしを愛していますか。・・・わたしの子羊を飼いなさい」(ヨハネによる福音書21章15節)、というイエスさまのみことばが魂に響き、私はすぐに決心して、教員を退職し、神学校に進みました。卒業後は様々な立場で伝道奉仕に携わり、現在に至っています。

振り返れば、クリスチャンになった当初は、「自分が神さまを選んだ」かのように錯覚していましたが、後で、私が神さまを選んだのではなく、神さまが私を選び、召し、生かしてくださったのだということがわかってきました。こんな私を愛して、死からいのちに移してくださった主を心から賛美しています。

信仰生活の証し

「ほめたたえよ、慰めの神を」― 亡き父と母を偲びつつ ―

キリスト教東京鵜の木教会 高橋めぐみ現在、私は旧約聖書に出てくる「ヨベルの年」(レビ記25章10節他)に生きていると感じています。というのは、昨年の11月10日が、父の命日であり、亡くなって丸50年になるからです。聖書では、ヨベルの年には、奴隷が解放されましたが、私自身も何か大きな霊的解放と新しいチャレンジをいただいている気がするのです。

父の自死については、私がクリスチャンになってからも「あってはならないこと」のように思われ、長い年月悩んできたことは事実です。「この出来事の真実を知りたい」と願い求めた結果、色々なことが判明して、ますます傷ついたり、人を恨んだこともありました。けれども、憐み深い主は、本当に時にかなって私を助け、慰め、癒してくださいました。Ⅱコリント1章4節に「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」とありますが、この約束は真実であることを私も体験することができました。そして、まことの癒しは、“赦すこと”と“悔い改めること”によって与えられること、それはイエスさまの十字架と復活の力によるのだということを実感してきました。

それにしても、父の死によって、遺された家族の中で一番傷ついたのは、母に違いありません。実はこの母も、父が受洗した翌年、洗礼を受けていたことを、私はクリスチャンになって10年もたってから知りました。なぜなら、私が子どもの頃の記憶では、教会に通っていたのは父だけでしたし、母の口からは信仰的なことばは全く聞かれなかったからです。特に父が亡くなってからというもの、むしろ「神など嫌いだ」という破れたことばしか出ませんでした。私は「この人は、形だけ洗礼を受けたけれど、本当は救われていなかったのだ」と思い、91歳で亡くなるまで、ずっと救いのために祈っていたのです。けれども、母は私の献身に猛反対していましたから、どんな証しを試みても、かえって喧嘩になり、ことごとくうまくいかず、失望するばかりでした。

それでも、主の不思議なご介入によって、亡くなる1年半前に、母娘としての関係に和解が訪れ、母は「お前は本物のクリスチャンになったから、お父さんはきっと喜んでいるだろうねえ」とまで言うようになりました。そこで、私は、母にも是非読んでほしいと祈りながら、『イエスのまなざし』という証しの本を書きました。「これを読んでくれたら、きっと父のこともイエスさまの話もできる」と期待していたのです。ところが、その本が発行となる一カ月前に、母の心臓が突然止まってしまいました。前日まで元気だった母の突然の死に、私は茫然としてしまいました。「神さま、どうして今なのですか。せめてあと半年、一年をくださらなかったのですか」と嘆きました。

けれども、母の四十九日を迎える頃、あることを知りました。母が通っていたデイサービスに、母の最期の作品があるというのです。実は、母は長年ちぎり絵の趣味を持っていたのですが、晩年は、すっかり創作意欲をなくして苦しんでいるのを私は知っていました。その母が亡くなる50日前に、ひとつの作品を作ったのです。それはベニヤ板に画用紙を張って、その上に、黒いボタンを並べて文字を描いたものでした。母は若い頃から洋裁も得意で、家族の服や人形タカちゃんの服をたくさん作ってくれましたが、その時、黒いボタンがたくさん残っているのに気が付いて「これで何かできるだろうか」と考えたのでしょう。

納骨が終わってから、デイサービスを訪問し、その作品を見せてもらって、私は息を呑みました。これがその作品です(実物を見せる)。

『神ハ愛』・・・これが、「神など信じない」「神など嫌いだ」と叫んでいた母の心に最期に浮かんだことばなのでしょうか・・・もし、母が全く神さまを否定し、信仰のひとかけらもない人間であったなら、どうして、苦しみの中で、このことばを選ぶことができたでしょうか・・・私にとっては、これは母の信仰告白であり、遺言であるかのように響いてきて、心底慰められたことでした。

このように、我が家は胸を張って「クリスチャンホームです」とは言えないような、破れた家庭でしたが、マタイ12章20節にあるように、イエスさまは「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない」お方であることをしみじみと感じるのです。

私の名前を聖書から「めぐみ」とつけてくれた父のこと。深く傷つきながらも一生懸命、子どもたちを育てあげ、最期に「神ハ愛」だと描き遺してくれた母のこと。この両親を偲びつつ、我が家はやっぱり、主に愛されており、見離されてはいないという確信をもって、主をほめたたえているところです。

救いとその後の証し

「主に出会って」

横浜福音キリスト教会 坂西賀寿代私は、香川県高松市に生まれました。高校2年生の時に、ラルフ・カックスという宣教師に出会いました。きっかけは、「高校生英会話パーティー」のチラシをいただいて誘われたことからです。パーティーは、土曜日の午後でしたが、色々な高校から学生が集まっていました。ある時、隣りに座っていた女子高生が、日曜日にも来ているということで、私も日曜礼拝に出席するようになったのです。

宣教師は、「この世界には造り主がいる」という話から始めました。時計でも何でも、形あるものは偶然にできたものではなく、作り手がいる。人間はなぜ死ぬのか。それは罪の罰の結果である。その罪とは、創造主なる神と離れていることだ、と教えられました。

その頃、私には、疑問がありました。自分で計画しても自分でそのとおりに実行できない。どうして私は弱いんだろう。また、どうして人間はみんな平等に死ぬんだろう、ということです。私は、宣教師の話から、天地を造られた神さまがおられ、人間を造られ、人間が神さまとの約束を破り、罪人になったことを知りました。「そうなんだ!!」死は罪の結果なんだ。だから、人間みんな平等に死があるんだ。その罪を救うために身代わりに十字架にかかり、よみがえったお方がイエスさまなのか・・・。私はそのお方を信じてみようと思いました。私は刑務所に入るような罪は犯していない。私は結構真面目だ。だけど、神さまから離れている罪があるなら、確かにそうだ、と納得できました。それから、思い当たる罪を口に出して言い、祈りました。そして、この聖書の神さまを信じていこうと決心したのです。

信じてから私が変えられたことは、まず父に対する心の態度です。私は、酔っぱらう、お酒に飲まれる父を「いやだなあ」と思っていたのです。けれども、信じた後、「父は素直な人なんだなあ」と父の弱さも認められるようになりました。

花や空や自然も、神さまに造られた兄弟姉妹、友だちのように感じることができました。 また、少しずつ聖書も読み始めました。高校生会にも続けて出席していました。信仰をもった友人の証しを聞いたり、町でトラクトを配って高校生会に誘ったり、祈ったり、時にはゲームをしたり、楽しい時となりました。夏は高校生キャンプにも参加しました。そうして、高校3年の夏に洗礼を受けました。

でも私の信仰の戦いは、高校を卒業して就職してから始まりました。当時、宣教師は「救われた人が一人を導くと、日本のクリスチャン人口は多くなる」と話していたのですが、私は“証しする”ということとはどんなことか悩んでいました。イエスさまのために自分ができる行動をしたいと思うのですが、なかなか実行できない自分に失望していました。そんな中、聖書のみことばを読みながら、私がするのではない、私のうちに住んでくださる聖霊が働いてくださるのだ、ということに励まされました。

「まことに 私が供えても あなたはいけにえを喜ばれず 全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」(詩篇51篇16~17節)

神さまは、私の心根を見てくださっている。何ができる、できないではない。私のからだは、神さまが導いてくださる聖霊が住まわれる宮なのだ、と教えられました。また、神さまは、私が生まれる前から選んでいてくださり、私の祈りにならないことばもすでにご存知であることを知りました。

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(マタイによる福音書22章37節)

私は、自分の考え方を ①神さまならどう思うか ②隣りの人は ③自分と優先順位を考えて生活すべきだということも教えられました。そしてドキドキすることがあっても「イエスさま、あなたの出番です」と心で思い、おゆだねするようにしています。

たとえ、イエスさまのことを職場の人に話せなくとも、私は日曜日、教会に行って礼拝を守ることをはっきりさせようと思いました。たとえ、仕事で失敗することがあっても、めげないで働き続けること、そこに存在すること、このことが、イエスさまが応援してくださっている私にとっての証しだと思えるようになりました。

信仰生活の証し

「ことばを大切に」

春日部福音自由教会 山田真佐子皆さん、こんにちは。私は、クレヨンしんちゃんでおなじみの埼玉県春日部市に住んでおります山田真佐子と申します。

私は、幼少期に兄に誘われて日曜学校へ行くようになりました。そして、長いブランクがあったものの、気がつけば、信仰をいただいて半世紀以上の歳月が過ぎました。遅々とした信仰の歩みですが、神さまは聖書のお言葉を通して、また様々な出来事や、人とのかかわりを通して成長させて下さいました。そして今日の日を迎える事が出来ました。

けれども、日々の生活を省みるとき、自分自身の至らなさや愚かさゆえに、多くの失敗を繰り返してきたこともまた事実です。特に言葉による失敗は、この年になっても日常的に経験しています。聖書はこのように言っています。

「私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。」

ヤコブの手紙3章2節舌を制する事の難しさを教えているみ言葉ですね。その通りです!と言わざるを得ません。

私が最近経験した出来事を、少しお話させていただきます。

ある方から、一本の電話がかかってきました。お話の内容はもう1年以上前の事になるのですが、私が軽く言った言葉によって、その相手の方を傷つけてしまったらしいのです。一言でいえば、「謝ってほしい」と言う内容でした。その方にとっては、ずっと腹の虫が収まらず、悶々とした気持ちで過ごしてこられた様でした。ところが私には、思いもよらないことばであって、何を謝るべきなのか、少々困惑してしまいました。でも、言った言わないを繰り返しても、そこからは何も生まれてきません。正直、不本意ではありましたけれども、嫌な思いをさせてしまったことに対して、「ごめんなさいね!」と謝りました。

その方とは、その後も主にある姉妹として、今まで通りの関係を持っていますが、私はこのことを機に、自分自身のこれまでの歩み、特に誰とどんな言葉のやり取りをしてきたか、そのようなことを思いめぐらす時を持つことが出来ました。この件だけでなく、あの事,この事と、色んな言葉による失敗が思い出されました。たとい悪意がなくても、軽はずみに、又無責任に発した言葉が、いかに人の心を傷つけてしまうか、等々、改めて神さまからの警告をいただいた思いでした。

ヤコブ書3章11節にはこう書かれています。「泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか」。神さまを賛美し、祈るその唇で、不用意に人の心を傷つけているとするなら、それはイエス様に喜ばれることではありません。自分自身、もっと言葉を大切にし、できることなら自分の唇に見張りを置きたい、そんなことを思う今日この頃です。神さまからいただいた気づきを大切にしたいと思っています。

丁度、今年は古希を迎える年齢となります。行いにおいても、言葉においても、キリスト者としての更なる成熟を目指して歩めるようにと願っています。

神さまは、腹話術という賜物を、私に与えて下さいました。腹話術は言葉そのものです。語る言葉をよく吟味し、祈り心をもってイエス様のみわざとみことばを伝えていきたいと思います。