No.76 証し台本の書き方 ⑤

みことば体験を語る

「あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。」

詩篇119篇105節

 今回も、証し台本の中の「信仰生活の証し」について考えてみましょう。私たちはみな、主イエスさまを信じてバプテスマ(洗礼)を受け、いよいよクリスチャン生活が始まるわけですが、その歩みは決して平坦なものではないでしょう。初めの2~3年は、喜びに溢れて、礼拝や集会に参加し、あれこれ奉仕もするかもしれませんが、やがて、そのエネルギーは徐々に減少してしまうことがあります。なぜなら、私たちの内側には、新生してもなお残る“肉”と呼ばれる罪の性質が根深く残っており、早晩“霊と肉”の葛藤が起こるからです。

 ある人々は、そのことに驚いて「私は本当は救われていないのではないか」と不安になるかもしれませんが、その心配はありません。実は、これはクリスチャンが必ず通らなければならない「聖化」のプロセスであって、救い(義認)はすでに与えられているからです。

 すべてのクリスチャンの心の内には聖霊が宿っていますから、その聖霊に満たされる(支配される)なら、罪や肉、この世の誘惑などに勝利することができます。けれども、そのためには、毎日“霊の糧”を食し、信仰が成長していかなくてはなりません。そのために、個人的なデボーションや聖書研究、礼拝におけるメッセージ、分かち合い、などが必要になってくるわけです。

 ここで注意すべきことですが、信仰の成長とは、聖書の知識が増えるだけでは不十分です。「知識は人を高ぶらせる」というように、かえって、傲慢になることもあります。私たちの究極の目標は、「キリストの似姿になる」ことであり「キリストの弟子となる」歩みですから、いかにイエスさまのように謙遜に生きるかが問われます。これは大変高い目標で、「とてもそんな高嶺にはたどりつかない」と落胆しないでください。一見“悪戦苦闘”に思えるクリスチャン生活の中であっても、主イエスさまが共に歩み、生きて働いてくださるのです。これは本当に神の子どもとされた私たちの特権と祝福です。

腹話術を用いて「信仰生活の証し」をするということは、そのような“みことば体験”、“イエスさま体験”をみなさんに分かち合うことなのです。

それでは、どんな体験を振り返って台本にしたらよいでしょうか。以下、いくつかのヒントを列挙してみますから、みなさんそれぞれにご自分の歩みを振り返ってみてください。

(1) 私の一番好きなみことば
(2) 私の人生の転機となったみことば
(3) 迷いの中で、新たな示唆を与えられたみことば
(4) ある時、イエスさまに直接語り掛けられたみことば
(5) 私の人生の支えとなったひとつのみことば

どうでしょうか。みなさんの長い信仰生活を振り返れば、誰しもこのような特別なみことばの経験があるのではないでしょうか。もし、どれか思い当たったことがあったら、是非その時のことを詳しく思い起こしてください。

① どんな出来事があったか。
② その時、自分はどう考え、行動したのか。
③ その結果、どんな結果になったか。
④ その時、心に響いた(思い出した)みことばはどれか。
⑤ そのことばによって、内面がどう変えられたか。
⑥ そのみことばに従った結果、事態はどう変化したか。
⑦ その結果、いかに主の恵みを感謝することができたか。

「恥はわがもの、栄光は主のもの」です。私たちは、弱さや失敗を通して主に取り扱われ、主の力によって強くされるのですから、「こんなことを話すのは恥ずかしい」と思わずに、大胆に主のみわざを証ししようではありませんか。証しとは、自分を語るのではなく、神さまを語ることなのですから。

2022年9月30日