No.80 神に取り入る腹話術

神に取り入る腹話術

「今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。」

(ガラテヤ人への手紙1章10節)

 皆さんは、腹話術の奉仕が終わった後、どんなことを考えますか。「とにかく終わって良かった」と一息ついて、すべてを忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。
 クリスチャンである皆さんに、神さまはどんな思いで腹話術という賜物を預けてくださったのでしょうか。とかく、腹話術に対する期待や評価は人間と神さまでは大きなギャップがあるものです。そんな時、皆さんは、人間の声と神さまの声のどちらに聞き従いますか。今回は、その点を少し深堀してみましょう。

1.人間を喜ばせる腹話術

(1)腹話術はお楽しみである。
 腹話術はエンターテイメントなのだから、とにかく何かおもしろくて楽しい話をしてほしい、というふうに、“人形がしゃべる”という特技を楽しみたいということを求めている場合が多々あります。
(2)メッセージの前の前座にすぎない。
 特別な集会の説教の前に奉仕を依頼される時、それはあくまでも“前座”にすぎません。ですから時間も短いし、“軽く”やらないといけません。つまり、真剣な説教の前に、ちょっとした気分転換で心を和らげるためなのです。
(3)集会に人を呼びやすくするためのアピール。
 かつて、腹話術は“ちんどんや”とか“人寄せパンダ”と言われました。最近は時代が変わり、そこまでの魅力はありませんが、それでも、何とかして人を集めるためにアピールする手段であることには違いありません。

2.神を喜ばせる腹話術

(1)腹話術で神の愛を伝える。
 たとえ聖書台本をやらなくても、クリスチャンとして聖書の価値観にふさわしい台本で演じるなら、人間世界を愛してやまない創造主の愛を流すことができます。
(2)メッセージの前の生きた証しとして語る。
腹話術で説教をする必要はありませんが、説教の前に演じる場合は、その人の「生きた証し」によって、人々の魂が神に向けられて、メッセージを聞く備えができるように整えるという役割があります。
(3)「魚釣りの餌」となって「人間をとる」。
 腹話術で証しや伝道をする場合、腹話術という形態は、釣り人が魚をとるために使う餌のようなものです。最初に人々の興味を誘い、その後は、話の内容に集中させて、神について知るまでに導くのです。

3.神を喜ばせるための準備と反省

(1)台詞と心の一致
 奉仕の前は祈りつつ台本を書くことはもちろんですが、その後は、台詞と自分の心(魂)が一致するまで練習することです。
(2)聖霊が働くように祈る。
 集会の良し悪しは、いかに神の臨在のもとで演じられるかに尽きます。聖霊の風が吹いて、豊かに働いてくださるように祈りましょう。
(3)話の内容が伝わったかに留意する。
 演じた後、「おもしろかった」「人形がかわいかった」などと言われると、ついうれしくなってしまいますが、それはむしろ“失敗した”と言えるでしょう。つまり、人々の心が人形に束縛されて、話の内容には届かなかったという証拠だからです。なぜそうなってしまったのかを反省してみましょう。

2023年2月24日