No.89 スランプに陥ったら

「自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。」

(テモテへの手紙第二1章14節)

 今年は元旦早々、能登半島大地震に見舞われ、関東甲信越に住む私たちも愕然とさせられました。そして「明日は我が身と言えないこともない」と思わされたことです。“首都直下型地震”とか“南海トラフ”とか…。

 そもそも、私たちの人生は、明日はもちろん、今日の次の瞬間も何が起こるかは“神のみぞ知る”なのですが、何となく、今の平穏無事な生活がいつまでも続くような錯覚を起こしてしまいます。

 「腹話術人生」も、ひとえに神さまのみこころにかかっているので、今年も来年もどうなるかわかりません。ましてや、「あと何年できるかな」と考えても、全く想像もできません。「それなら、今できるうちに頑張ろう」と思っても、なぜか台本が書けない、練習する気が起きない…など「スランプ」の状態に陥ることがあります。

 特に、今まで丸3年間もコロナ禍にあり、教会も一般施設も、人が集まれない―すなわち、イベントを開けない―ことが続いたのです。みなさんも、教会学校で腹話術奉仕をする場がなくなったことなど、体験されてきたことでしょう。ですから、その間は当然ながら、台本を書けなかったでしょうし、奉仕がなければ、練習する気も起きなかったことでしょう。パペットも、押し入れの中だったかもしれません。

 そうして4年目にして、ようやく人の動きが出てきて、教会でもおそるおそる小さな集まりを始めるようになりました。その結果、みなさんにも、ぼちぼち腹話術奉仕の依頼が来るようになったのではないでしょうか。

 ところが、「それでは、すぐに取り掛かります」とは言えないでしょう。何しろ、腹話術は芸術的な賜物なのです。(音楽などの他の分野も同じことですが)3年間も実演をお休みしていたら、身体がすっかりなまってしまって、以前のようには動きません。腹式呼吸、頭声、リップコントロール、人形操作…すべての勘を取り戻すには、時間がかかります。それに、これは一番深刻ですが、「やる気力が出ない」という状態に陥ることもあるのです。

 そんな時、つい「もうできないということかな」とか「そろそろ引退かな」という考えが脳裏をよぎったりしませんか?でも、それはまだ気が早いです。そんな時は、「自分はこう感じるけれど、神さまはどうお考えなのだろう」と上を見上げてください。みなさんは、神さまに導かれて、それなりに目的をもって腹話術を習い始めたと思います。それなら、神さまが「もう十分だ。終了してもいいよ」とおっしゃらない限り、やめる時はきていないのです。

 私自身、人形の声が全く出なくなり、「ニュー・クリエイション」を閉じた時、二人の牧師から励ましのみことば(全く同じ箇所)をいただきました。

「見よ。わたしは、だれも閉じることができない門を、あなたの前に開いておいた。」(ヨハネの黙示録3章8節)そして、それは7年後に現実となり、「神の子ミニストリーズ」が誕生したのです。

 それから12年経ち、私も時々、「年齢的、体力的に、どこまでやれるだろうか」と思いめぐらすことはあります。けれども、はっきりしていることは、「主が開かれた門はまだ主によって閉じられていない」ということです。それなら、自分の感情だけで勝手にやめてしまってはいけないのです。

 私たちは全員年を重ねてきて、今までできたことができなくなりました。けれども、「この年になったからこそ語れる信仰の証し」というものがあるのです。みなさんには、みなさんにしかできないことがあるので、まだ主は腹話術を通して主の愛を伝えることを、みなさんに委ねられているのです。

 ですから、以前に比べてすべてがスローテンポかもしれませんが、あせらず、初心にかえって、一歩一歩、前進していきましょう。

 まずは、祈って、救われていることと腹話術を与えられていることに対する感謝を告白しましょう。新しい台本を思いつかない時は、今までのものをさらに磨いていく方法もありますし、しばらく充電して、他の本や物語を読んでみるということもありです。とにかく、やめないことが重要なのです

2024年1月26日