No.93 人形は生きている

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」

(創世記2章7節)

 腹話術という世界は、今ではポピュラーな芸として、(しかし相変わらずマイナーではありますが)、一般に受け入れられていますが、日本でも50年も前には、“奇妙なもの”といった感覚をもたれたように思います。
 私が30代で、初めて証しの本を出版した時、当初のタイトルは『人形は生きている―腹話術とのおかしな出会い』だったのですが、編集者によって『人形は生きている』の部分はカットされ、副題がタイトルとなりました。きっと“人形は生きている”という表現からは、蝋人形が本物そっくりで「何か気持ち悪いよ」というような違和感を覚えたのでしょうか。
 そういえば、昔、腹話術仲間の声として、「牧師に『そんなものは偶像だ!』と言われてやめた人がいるのよね」といううわさを聞いたことがあります。
 私の場合は、「タカちゃんて、まるで生きているみたい」と、驚き、喜ばれたことの方が多いのですが、そういえば、ある教会で演じた後、「神さまは、生きていない人形を生かすということを許されたんですかねえ…」と、「いまいち納得できない」という含みをもたせた感想をもらした方がいました。
 ことほどさように、腹話術というものは、どうやら受難の歴史を背負っているようです。そもそも、腹話術の世界的歴史家によれば、17世紀までは、「悪魔の声を出す者」として、(当時は人形を使わず、声だけでしたので)投獄された人もいたらしいのです。それでも、ようやく、「腹話術というものは、目と耳の錯覚を利用した巧妙な技である」とカラクリがわかり、その後、人々に受け入れられ、エンターテイメントとして楽しまれるようになり、偉大な芸術家も誕生してきたというわけなのです。
 このような現象は、タカちゃんにぞっこん惚れ込んでいた私には、かえって理解できないほどなのですが、今回は、この問題を少し分析してみようと思います。

1.神さまは、人を「神のかたち」に造られました。

 天地万物の創造者である神さまほど、クリエイティブな方はおられません。時代を超えて、世界中の人間に、全く同じ人がいないことを考えただけでも、信じられないことです。しかも、その人間は、ロボットではなく、自由意志を与えられ、神さまと同様の創造性をもつ存在として造られたのです。原罪によって傷ついてしまった「神のかたち」であっても、なお人間は様々な能力を与えられています。キリストによって、霊的死からいのちに移されるなら、なおさら、人は神の栄光のために、そのいのちの力によって、創造力を発揮することでしょう。

2.芸術は、神さまからの賜物です。

 そもそも、人は神さまを礼拝するために、様々な賜物をもって仕えることが許されています。また、この世で主とともに生きる喜びや楽しみも与えられているのです。その中で、小説、映画、演劇、漫画、その他、あらゆる芸術手段をもって、人間が架空の物語を創作しながら、考えたり、学んだりすることも許されているのです。

3.キャラクターは作者の内面を表現しています。

 私は、腹話術の人形にキャラクターを与えること(すなわち、生かすこと)は、小説や映画の中の架空の登場人物が、実在しているかのように、感情を持ち、思考したり、行動したりするのと、全く同じ次元のことだと考えます。つまり、その創作の世界で、作者はキャラクターを通して、自分の内にある思想や感情などを表現しようとしているわけです。その結果、それを味わう人々が、感動したり、共感したりさせられるわけです。
 かつて、私のタカちゃんとの会話を聞いていた牧師婦人が「人形の台詞は、あなたの深層心理を表しているのでしょうね」とコメントしてくれました。確かに、当時のタカちゃんは、“もうひとりの私”だったかもしれません。けれども、その後、“キャラクターとは、自分とは全く別の存在である”という境地に到達しました。まあ、ともあれ「人形は生きている」のです。

2024年5月24日