No.9 ゴスペル腹話術の不思議

大橋 都

 最近、私の30年来のPTA役員からの仲間がこう聞いて来ました。
「ご主人は何がつらくて信仰に逃げたの?」
「私との結婚に絶望してかな?」私は思わずそう答えていました。
冗談のつもりでしたが、皆は妙に納得していたようです。信仰を持たない方々には、理解できないのでしょう。
 主人は定年になり、私に相談もなしに神学大学、大学院と4年通いました。神学生の時に東村山教会に通うことになりました。私も日曜朝9時からの入門講座を元東京神学大学学長である芳賀力牧師から一年、個人的に受けましたが、洗礼を受けるまでには至りませんでした。「今まで講座を受けて受洗しない人はいなかった」と先生のがっかりしたお顔は、今も鮮明に浮かんできます。
 そして、主人は伝道師になり浅草北部教会に招聘されました。私は“信仰のない牧師夫人”で戸惑っていましたが、皆さんは温かく迎えてくれました。
 そこは創立90周年の歴史があり、現住陪餐会員約30名、礼拝出席は約25名、青年の時から信仰歴50年以上のご夫婦たちが役員をされ、堅実で、家庭的雰囲気のある温かな教会でした。玄関先のプランターには季節の花々が咲き、道行く人やバスの乗客も楽しんでいました。伝道集会や講演会にも積極的に参加していました。
 2年後、隅田川を隔てて634m世界一の東京スカイツリーがオープン。主人が伝道師から牧師になっての初めてのクリスマス。私は自然の流れで受洗しました。“信仰のない牧師夫人”を受け入れてくださった教会員の方々にとっては待ちに待ったこの日です。私より感動し、涙して喜んでくださいました。

 ある時、東支区伝道集会が富士見町教会でありました。高橋めぐみ先生の赤いジャケットが印象的なパフォーマンスを観て、難しい聖書のみことばも楽しく伝える腹話術に魅力を感じました。腹話術といえば交通安全の広報活動でしか見たことがありませんでしたから。
 先生が「初心者講習会を開きます」と呼び掛けられ、私も背中を押されて参加することにしました。青年と二人での6回の講習は、毎回新鮮で楽しく、あっという間でした。
 その後『ゴスペル腹話術クラブ』を勧められ、「横浜は遠くて通えないから断ろう」と決心して行きました。あえぎながら登った山の上の教会からの見晴らしはすばらしく、その上、姉妹方の演ずる「生き生きとした人形たち」に魅せられてしまいました。長野から、小田原から通ってくる姉妹もいて、埼玉からは遠くて通えないとは言えなくなりました。
 「観るのは楽しい」けれど、「演じてうれしい」まではなかなかですが、パペットと一緒に出ていきますと、みんなの顔がパっと輝き、笑顔になります。そして喜び、夢中になり、集中します。不思議な力です。

 腹話術の台本作りはいつも苦労しますが、深く聖書を学ぶことができます。
講習会テキストの基本台本『イサクの誕生』は聖書の中で一番理解できなかった箇所でした。アブラハムが100歳、サラが90歳、妊娠するはずがない年齢、聖書では年齢の単位が違うのかしら、これを信じている人がいることに驚きでした。
 教会員の人に聞いても納得する答えはかえってきません。「なんでそんなこと聞くの?」といった感じでした。でも、腹話術でこの場面が与えられ、あの時、つまずいてそのままになっていたところだったと、うれしく思いました。
 神様は言われました。
「サラは必ず男の子を生む。あなたが笑ったので、その子をイサクと名付けなさい。」イサクとは「彼は笑う」という意味です。アブラハムもサラも、最初、二人に男の子が生まれると聞いたとき「笑い」ました。「そんなことがあるわけがない」という不信仰の笑いでした。
 そして、約束の通りにアブラハムとサラに男の子が生まれ、「イサク」と名付けられました。今、アブラハムとサラは、イサクの誕生を喜び、祝って笑っています。 これは信仰の笑いです。
 この箇所が与えられ、みことばに「時」のあることを感じました。
わからなくても気にかけていれば、いつかわかる時がくることを覚えました。

 聖書をわかりやすく人に伝える手段としての腹話術は子供から大人までひきつけます。聖書のみことば種まきです。長い人生いつか、心の依りどころとなることもあるでしょう。癒しと慰めになってくれることもあるでしょう。

 私も後期高齢者となり、老いを感じるようになりました。それでも、腹話術で頭を使い、台本作り、人形操作、観客の前でパフォーマンス…課題は色々あります。自分自身を叱咤激励して、わかりやすく楽しいゴスペル腹話術を伝道手段としてもっともっと広く活用していきたいと思います。