No.35 スピリットがあれば

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」

ローマ人への手紙12章11節

このところ、NHK夜のニュース番組の中で、「ストップ詐欺被害・私はだまされない」(オレオレ詐欺の被害に遭わないために)という一コマがありますが、それを見ていて、先日はビックリ仰天しました。

ある警察官が、高齢者にこのテーマで講話をするために、腹話術を使っていたのです。といっても、彼の腹話術の技術は一目で初心者だとわかります。人形の声もまだきちんとした頭声ではないし、第一パペットは、腹話術人形でも、フルボディーのパペットでもなく、頭(かしら)だけの口パクだったからでした。ところが、彼はおじいさんやおばあさんの前で、堂々とパクちゃんを使いながら、「みなさん、犯人はこんな風に言ってきますから、だまされないようにしてくださいね」と語り、それを見ている方々は、笑いながら、しかし熱心に聞いていたのです。そして、あるおばあさんが「この話を聞いていたので、この間だまされそうになったけど、助かりました」とインタビューに答えていたので、私はますます驚きました。番組では、その警官がまず家族(奥さんと二人の幼い子供たち)の前で、実演し、奥さんに「もっと人形の声をはっきり出して」などと批評されつつ、熱心に練習しているシーンもありました。私は、このニュースを見たあと、「いったい、この人には何があるのか」ということを思いめぐらしたことでした。そして、彼の姿からクリスチャン腹話術師も大いに学ぶ点があることに気づいたのです。

霊に燃えている

彼は、自分が警察官であるという自覚と使命感にあふれています。警察官として、人々を悪から守るという大切な使命があること、その目的意識がはっきりしているのです。その点、クリスチャンはどうでしょうか。自分がイエスをキリストと信じる信仰によって神の子どもとされている、という自覚がどれほどあるでしょうか。神の子どもには、まだイエスを知らない人々に福音を伝えるという使命が与えられています。その使命を誇りとし、霊に燃えているでしょうか。

仕える愛の動機がある

この警官には、明らかに愛があります。単なる仕事人としてのプロ意識だけでは、腹話術をやろうとは思わないでしょう。何とかして、高齢者にわかりやすく、楽しく聞いてもらうにはどうしたらよいかと、色々考えたに違いありません。その結果「腹話術を使ったら、興味を持ってくれるかもしれない」と考えついたのです。まず腹話術をしたいという動機があったのではなく、人々の心に届いて欲しいという愛の動機があったのです。

勤勉で怠らない

この警官は、自分の腹話術は未熟であると自覚しています。ですから、まず家庭で、家族を前に実演し、練習を重ねているわけです。どんなつっこみを言われようと、甘んじて聞いています。けれども「こんなに下手なのでは人前には出られない」とは思いません。たとえ初心者でも、今達しえたところのままで、人前に立っています。なぜなら、彼には、語るべきことばが十分にあるからです。この点でも、クリスチャンは見倣うべきでしょう。腹話術は奥が深いものです。技術をマスターしようと思ったら、何十年かかってもその先があります。けれども、みなさんには、伝えるべきメッセージがすでに与えられているではありませんか。技術より、まずメッセージが大切なのです。それさえあれば、技術に関係なく、どこへでも出て行って、福音を語り始めることができます。けれども、戻ってきたら、技術を磨くことを怠りません。主の知恵と力に依り頼んで、練習に励むのです。これが主に仕える者の姿です。

2014年10月24日