No.49 腹話術と信仰成長⑥

- キリストと出会う -

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。」

ヨハネの福音書15章26節

前回は、聖書が「神のことば」であり、「聞いた人は、理解した程度に応じて応答しなければ ならない」ということを学びました。そこで、あらためて考えさせられることは、「その聖書台 本によって、果たして神からのメッセージが語られているのか」ということです。メッセージの ない聖書台本は、単なる聖書の字面を追ったあらすじにすぎません。この点、多くの“ゴスペル 腹話術師”は自己吟味を必要とするのではないでしょうか。

確かに、牧師や伝道師ではなく、信徒の方が腹話術を使って聖書の話をする場合、どこかで 「説教学」でも学んでいない限り、なかなか「メッセージ」を構成するのはむずかしいでしょ う。けれども、多くの方々は、教会学校の奉仕を通して、「礼拝メッセージ」なるものを語った ことがあるのではないでしょうか。そんな時に、どのような準備をしているかが問題です。も し、教会から渡される「教案書」にべったり頼り、自分で聖書そのものから学び、祈ることをし ないなら、何年奉仕していても、メッセージとはどういうものであるかがわからないでしょう。

そこで、今回は、いかにして聖書から神のメッセージを受け取るか、という点について、二つ のことをみなさんに分かち合いたいと思います。

キリストと出会うまで学び、祈りましょう

もし、みなさんが聖書台本を演じようと思うなら、すぐに台本を書こうとすることをやめまし ょう。つまり、教会学校のお話であろうが、腹話術であろうが、まずは聖書そのものの学びから 始めなければなりません。そのためのステップとは、第一に、聖書研究をすることです。語るべ き箇所の前後の文脈から、その箇所が何を意味しているかがつかめるまで、必要なら簡単な注解 書も用いて調べましょう。それによって、今まで理解できなかったことや、誤解していたところ など、新しい発見があれば、心に喜びが与えられるでしょう。そこで十分学んだら、次には、す べての参考書を脇に置いて、ただ聖書だけと向き合い、黙想します。その時には、「神さま、こ の箇所から私に必要なことを教えてください。私に個人的に語りかけてください。イエスさまと 出会わせてください」と祈ります。そのような時間を取らない限り、みなさんは神の声を聴くこ とはできないでしょう。もし真摯に主を求めて向かうなら、聖霊の神が働いて、必ず、聖書のあ る個所が、いのちのことば(霊的真理)として、魂に響いてくるはずです。それこそ、上からの メッセージなのです。そのようにしてメッセージが与えられたなら、みなさんは力を受けて、い よいよ台本書きに取り組むことができるでしょう。もちろん、教えられることがいくつかあった なら、ポイントはどれかひとつに絞って話を単純明快にするという作業は必要ですが、とにかく も、このような準備時間を大切にしてください。

メッセージは生ものです

このようにして、ある時すばらしい台本が出来て、演じることができたとしても、その同じ台 本をしばらくたってもう一度用いるときにはどうしたら良いでしょうか。これは一般の礼拝説教 も同じことですが、数年前に作った説教原稿があったとしても、それは過去のものであり、すでに賞味期限が切れている状態です。もし、同じ箇所のメッセージをしたいと思うなら、もう一 度、聖書を学び、祈りなおす必要があるのです。なぜなら、聖書はあくまでも今、目の前にいる 会衆に語るべき生きたことばでなくてはなりませんし、語る本人も、以前の自分ではないからで す。メッセージの導入も本論も結論も、すべて新鮮ないのちに溢れたものにならなければなりま せん。もちろん、すでに調べた背景などは、もう一度調べ直す必要はありませんが、少なくと も、新しく演じる対象や持ち時間などもかんがみて、「今回は、どの部分を強調しようか」「こ の部分の例話はふさわしいか」「最後のまとめ方はどうか」など、全体的にあらためて見直し て、添削していくことが必要です。その過程でも、主に依り頼むなら、聖霊が知恵と力を注いで くださることでしょう。

2018年4月27日