No.1「証しの準備」
証しの使命と特権
みなさんは、クリスチャンになって以来、どのくらいの頻度で「証し」を語ってきましたか。みことばを伝えることは、主からの大宣教命令として教会に与えられている使命ですが、個人のレベルでは、すべての神の子に、自分の救いの証しを語る特権が与えられています。教会の集会で、依頼されて初めて口を開くのではなく、もっと日常的に、まだ主を知らない方々に、積極的に語るために準備し、語るチャンスが与えられるように祈り求めましょう。
証しとは何か
イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
マルコによる福音書5章18~19節証しとは、「私」がどんな体験をしたかを語ることではなく、「神」が自分にどんな に大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを家族や隣人に知ら せることなのです。
神よ、わたしの若いときから あなた御自身が常に教えてくださるので 今に至るまでわたしは 驚くべき御業を語り伝えて来ました。わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。
詩編71篇17~18節
主の奇しいわざ、力、大能のわざを、次世代に告げ知らせることです。
親や子どもたちだけでなく、孫や親戚にも語りましょう。口で伝えることが苦手な人は、手紙を書いたり、短い文章(トラクト)を作成したりして渡すこともできます。本を書くなら、同世代のみならず、次世代のために遺すこともできます。
証しの種類
証しの内容としては、大きく分類すると二つの種類になると思います。
- 救いの証し
- 信仰生活の証し
証しの準備
救いの証し
救いの証しの始めは、洗礼を受けた直後になると思いますが、その時に何を語るかは、そ れからの信仰生活に大きな影響を与えるものです。よくよく祈って準備し、できれば指導 者に見てもらってから、証しの場に望むことをお勧めします。その内容は、以下のように、 3つの要素にわけられます。
- 救われる前の状態―神に対する態度や人生観とその結果
- 神について、主を知る前はどう考えていたか、どんな人生観をもって生きてきたか。その 結果、どんな問題が出て来たか、など、神無き人生の虚しさを明確に語ってください。
ここで、罪(神との断絶)の結果である様々な悪い行いについて、くどくどと述べる必要 はありません。「自分はこれほどの悪人であった」というようなことは、自慢すべきことで はありません。
- 救われた時―イエスを救い主として受け入れるに至ったプロセス
- どのようにして、聖書のことばと出会い、教会に行くようになったか。そこで、何に心が 捕えられ、イエス・キリストが自分の救い主だと信じるようになったか、心(魂)の変化 を明確に語ってください。この部分が、救いの証しのクライマックスです。
- 一般の方にとっては(もちろんクリスチャンにとっても)、「いったいどうしてこの人は、キリスト教に入信することになったのだろう」ということに疑問や関心を持っています。この点、多くの証し人は、“舌足らず”で終わってしまいます。救われる前の生活を長々と語ったあと、「そして、教会に行って、洗礼を受けました」のひとことで終わってしまうことが多いのです。そのために、「洗礼を受ければ救われる」という誤解を与えてしまいます。洗礼は、すでに信仰を与えられて救われた人が、その信仰を公にするために受ける儀式(キリストと共に死に、キリストとともに復活したことをあらわしています)なのです。
- 信仰の決心をしたみことばがあれば、必ずみことばを引用しましょう。信仰が与えられ、神の子として生まれることは、みことばと聖霊の働きによる神のみわざです。「自分はどのみことばに導かれて救われたのか」ということを最初から心に刻んでおくと、その後の信仰の確信に繋がります。
- クリスチャンホームに生まれ、子どもの時から親と一緒に教会に来ていて、そのまま素直に信じてきた、という方もおられるでしょう。その場合でも、洗礼を受ける時には、その環境の中でも、どんな事柄によって罪がわかり、十字架と復活が自分にも必要だとわかったのか、明確にして証しを語ってください。
- 救われた後の変化―価値観や生活の変化
- 救われ、洗礼を受けてから、人生観や価値観の変化、生活の変化(生ける神と共に歩む祝 福)について、簡潔にまとめてください。それも一般の方にとっては、興味のあ ることです。
「クリスチャンになったら、毎週日曜日は礼拝に出席して、献金して、奉仕するようにな って、忙しくなりました」という話はしない方が良いでしょう。一般の方は、「ク リスチャンになると不自由になるし、お金もかかるのか」と誤解してしまいます。
信仰生活の証し
心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
ペトロの手紙3章15節信仰生活において味わえる主の恵みは、日々新しいものです。みことばの体験(神を知 る)を、いつでも、どこでも語れるように、日頃から備えておきましょう。 そのために、日記、デボーションノート、説教ノートなどに記録しておくことも大切です。
クリスチャンはすでに神の国の民とされていますが、同時にこの世にあって生かされて おり、様々な困難や思いがけない出来事にみまわれるものです。けれども、それらの出来 事を「人の目で見る」か「神の目で見る」かによって、信仰が試されます。「私がこうした ら、誰々がこうしたので、事態がこうなってしまった」のではなく、「神はこの出来事を通 して私にこういうことを教えてくださった」(神のみこころ)という視点をもつ訓練が必要 です。
信仰生活の証しを語るときには、この点に留意して、決して人間的に事実を羅列せず、「神 はこのことを通して、このようなみわざをなしてくださいました」と語れるようにしまし ょう。その確信がない時には、証しの時が満ちるまで待つ方がよいでしょう。
まとめ
神のみわざを証しすることは、本人にとっても大きな喜びとなり、聞く人にとっても、共 に主をあがめるきっかけとなって励まされることになります。
「伝道は苦手だ」と感じてい る人でも、証しであれば語りやすいものです。実は、その証しこそ、伝道の始まりなので すから、日頃の神さまからの恵みを数えつつ、感謝しつつ「語らずにはおられない」日々 を過ごしましょう。
もちろん、一般の方に自然に語るためには、日頃からの無言 の証しを通しての信頼関係が必要であることは言うまでもありません。日々、証ししたい 人々の名前をあげて祈りましょう。