No.3 夫婦より同志

 聖書には、結婚の定義として、「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」(創世記2章24節)とありますが、率直なところ、私の両親は、夫婦というより、同志であったように思えます。

 私たち子ども4人は、小学生の頃から、全員、父にこう言われて育ちました。
「うちはな、お金がないんだから、国立大学に行けよ。」
 末っ子の私は、父がなぜ国立大学にこだわるのか、初めはよくわかりませんでしたが、じきに、国立大学の授業料は、私立に比べて大変安いのだと知りました。それに、そこから先、「男なら医者、女なら薬剤師か看護婦になれ」と言われて、父にとっては、“世の中で一番偉い仕事は医者である”という考えがあるのだとわかってきたのです。
 なぜそうだったのか、両親の生い立ちやこれまでの葛藤など、何も知らない時期は、兄は「僕は外交官になりたい」と言い、私は「学校の先生の方がまし」(内心の夢は、女優とかエッセイストでしたが)と反論していたのです。一方、ふたりの姉は、素直に薬剤師をめざして進みました。
 それにしても、戦後間もない時代、四年制の大学に進学する者は非常にまれで、男の子ならまだしも、女の子はせいぜい短期大学まででした。それなのに、我が家では、両親とも、「男も女も、子ども4人全員を大学に出す」というのが、共通した目標でした。それが、二人にとって、まさに「生きる(働く)意味・目的」だったのです。
 しかし、彼らがそれを望んだのには深いわけがありました。

 父は6人兄弟の末っ子でしたが、家柄は、明治時代から、代々内科の医者であったようです。そこで、父の長兄(私の伯父)が医者として家を継いでいましたが、父自身もおそらく医者になりたかったのでしょう。旧制中学でも、大変成績が良かったようで、英語は特に得意としていました。ところが、不運にも、卒業間近になって結核にかかり、そのまま中退させられてしまったのです。そのため、(ひょっとしたら兵役免除があったかもしれませんが)大学への進学は断念せざるを得なくなりました。そうして、療養生活の後、やむなく市役所に就職して、以降、さぞかし不本意な人生であったと思われます。
 父にあてがわれた仕事内容がどんなものであったかは知りませんが、学歴としては、“小学校卒”になってしまったわけで、当時、特に公務員にとっては、学歴が地位にも給料にも(そして、おそらく存在価値にも)もろ響いた時代でしたから、父の悔しさといったら、口では表現できないくらいだったのでしょう。「大学さえ出ていれば…」という無念さから「子どもには、こんなつらい思いをさせたくない」というのが、すべての動機であったのではないか、と今の私は推察するわけです。

 母の場合はというと、これまた実につらい体験がありました。
母は農家の生まれで6人兄弟の長女でしたが、「女は役に立たない」とバカにされながら、女学校では優秀な成績。そのまま師範学校に進学して教師を目指すものの、試験はパスしたのに、面接で「背が低すぎる」(ちなみに、身長は142センチほどでした)という理由で落とされたというのです。そんな母にとっては、終戦後、師範学校を卒業していなくても教師として教えている人たちを見ると、これまた悔しくて仕方がなかったようです。
そんな母でしたから、やはり「自分の子どもには、こんな思いをさせたくない。絶対に大学に出してやる」と、固く決意をしていたのでした。
母は、この“偉大なるビジョン”のために、何でもやりました。父の方針は「子どものために、母親は外に働きに出ない方が良い」ということだったので、家事はもちろん、畑仕事、養鶏(200羽)、卵売り、そして洋裁(子どもたちの洋服から学校の制服、父のワイシャツまで)。その小さな身体のどこからそんなパワーが出るかと思うほど、男勝り、かつ実に器用な女性でした。

 こんな両親の生き方、教育のあり方については、大人になってからの私が考えるに、「そんな無理をしなくても、もっと大切なことがあったのでは?」と思ってしまうのですが、それは子どもを育てたことのない人間の見方なのでしょう。
親というものは、本能的に、「子どもには、精一杯のことをしてやりたい。自分ができなくてつらかったことは、なおさらさせてあげたい」と思うもののようです。もちろん、自分の達成できなかった夢を子どもに託すというあり方は、けっして聖書的ではありませんし、そうすることで、神さまが本来その子に与えた良きものを見出せなくなる可能性もあるわけです。
それにもかかわらず、神さまの権威とは、人間の親以上ですから―神さまこそ、私たちの創造主ですから―親がどんなに必死に子どもを「こうなるように」と育てようとしても、結局は、神さまの造られたように、子どもは育つと言うべきか…いえ、神さまは、私という人間を造りたくて、父と母を選び、結婚に導いてくださったわけで、そのふたりが私をどう育てるか、ということもすでに予知予定の中にあったということでしょう。
 私の目から、両親が夫婦というより同志のように見えたとしても、主はやはり、父と母を夫婦としてひとつにしてくださったのです。私たちは、4人全員大学を卒業しました。

「あなたの父と母を敬え。」出エジプト記20章12節

2024年7月8日