No.4 お前は男だったらよかったのに

 人間とは実に罪深いものです。特に親子の問題は、どこの家庭でも、大なり小なりあることでしょう。もちろん、お互いに言い分があって、子どもからすれば「私は親にこれだけ傷つけられた」と言い張る理由があり、親からすれば「この子は本当に育てにくい子だった」と言える根拠もあるのです。
 私自身は、親になった経験がありませんから、どうしても子ども目線しか持てないのですが、子どもの頃、母親に言われた一言が、私のその後の人生を左右したと言っても過言ではないと思います。
 確か、小学生の頃、何をしていた時かは忘れたのですが、母親が、ふっとつぶやいたのです。「お前は男だったらよかったのに」と。その一言は、女であるはずの私の胸にグサリとつきささりました。あまりに唐突だったので、「お母さん、どうしてそんなこと言うの?」と聞き返すこともできず、私は黙っていました。(実は、そのことばは単なるつぶやきでもなく、深い事情があったのだということを、私は50代になって知らされたのです。)

 それから60年余りも経た今になって、つらつらと思い巡らすのですが、おそらく、その時の私は、そのことばをこのように解釈してしまったのだと思います。
「ああ、私は女だから間違って生まれてきたのだ。」
「私は男じゃないから、親は私のことを愛してくれてないのだ。」
「どんなにひっくり返っても、男にはなれないのだから、これは存在否定じゃないか。」
 もちろん、子どもですから、そういう抽象的な概念をもって認識したはずもありません。それでもとにかく、私は当初、ひどく寂しく感じたことは確かでした。

 そのことがどう影響したのかは簡単には分析できませんが、小学生の頃、私はいたって活発で、宿題は完璧にこなしながらも、よく遊び、夕方遅くまでゴム飛びやドッジボールなどに夢中でした。気が強くて、時には男の子を泣かせたこともあります。
 5~6年生の時は、担任の女性教師が特別に目を留めてくれて、学級委員をしたり、図書室の本を片端から読み、毎日日記をつけては先生に読んでもらいました。学習雑誌に詩や作文を投稿すると、掲載されて、たくさんの読者から文通の依頼がきたりしました。
 このように学校では元気はつらつのようでしたが、家では親兄弟、互いに口数は少なく、母の手伝いの他は、父親に、学校のテストの結果を見せるのが日課(?)という生活でした。
 ある日、「お父さん、算数のテスト95点だったよ」と言うと、父から「そうか、あと5点だったな」という答えが返ってきたのです。私は「これでも、クラスで1番だよ」ということばを飲み込んで、父の返事に恨みさえ覚えてしまいました。なぜなら、父ときたら、私が「学校の展覧会で、習字が金賞になったよ」と報告しても「へえ~金賞は何人いたんだ」とそっけないのです。まるで、たったひとりでなくては価値がないと言われたようでした。そもそも、父にとっては、私が好きな体育も、図工も音楽も、全く興味がなく、ひたすら主要科目の点数しか、それも100点でないと満足しなかったのです。

 そんな心くじける出来事が続き、中学生になると、私は猛烈な「完全主義者」になりました。英語、数学、国語はまだしも、理科、社会は大の苦手でしたが、必死に勉強しました。この主要五科目の総合点で、全校で何番になるかが競われていたからです。
 その競争は、なんと我が家の中でも起こりました。田舎の中学でしたが、次女の姉が成績が良く、女子で1番でした。その点、私はせいぜい5~6番で、追いつきません。たとえ、通知表が「オールA」でも、父はひとことも褒めてはくれませんでした。

 その反動でしょうか、私は、学校で紹介されたコンクールには、ほとんど応募しました。作文、絵画、ポスターなど。また、市内のハードル競争にも参加しました。その度に、朝礼の時、全校生徒の前で名前を呼ばれ、校長先生の手から表彰状を受け取るのです。といっても、特別な賞は少なかったのですが、私は、その賞状のすべてを大切に保管していました。そして、時々、枚数を数えて、「こんなにたまった」と、達成感に浸っていたのです。こうして、私はいつの間にか、「表彰状コレクター」になっていました。
 ある日、校庭で、校長先生とばったり会った時、先生は立ち止まって、目を見開いて、私に向かって、こう言いました。「君はすごいな。何でもできるんだな!」
 私は照れ笑いをしながら、頭を下げましたが、内心は、さほど嬉しくはありませんでした。どこか、過大評価というか、それは本当の私ではないという気がしたのです。

 そうです。私は学校で、どんなに先生に認められても、表彰されても、心は満たされていませんでした。ですから、「完全主義」も「表彰状コレクター」も、いたって的外れな努力だったというべきでしょう。
 ただ、普通の女の子で、好きなことと嫌いなこと、できることとできないことがあることなど、ありのままの私を、親が受け入れてくれさえすれば、それでよかったはずでした。…でも、それが人間にはむずかしいのだということを、今の私は知っています。人間の存在のありのままを愛することができる方なんて、創造主しかおられないのですから。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ書43章4節

2024年7月22日