No.6 死からいのちへ

 私が高校一年に進級してから、我が家の空気がこれまで以上に重苦しくなってきました。3歳上の兄が、大学入試に不合格となり、東京の予備校に通うため、下宿生活になったためでしょうか。父は、いつも黙って宙に向かって人差し指で数字を書いていました。おそらく、お金の計算をしていたのでしょう。父と母が何やら話し合ったり、かと思うとお互いにふっといなくなり、探し回ったり、ということもありました。
 そうして、その年の11月10日、父は突然帰らぬ人となってしまったのです。享年55歳、鉄道自殺でした。
 母は、父がクリスチャンであることを承知していましたが、葬儀をひとりできりもりすることはできず、近くの兄弟の助けによって、“仏式葬儀”となりました。(後に「こんな亡くなり方では、教会も相手にしてくれないだろうと思った」と述懐していましたが。)
 けれども、これは、感受性の強い年頃の私には、とんでもなく受け入れることのできない形でした。狭い我が家に祭壇が組まれ、たくさんの菊に囲まれた「仏様」がほほ笑んでいる・・・そして、参列者の焼香の煙が立ち上っている・・・「赦せない!お父さんはクリスチャンだったはずじゃないの!なんでこうなるの?私は絶対に焼香なんてしない!」と座布団にしがみついて号泣していました。

 「結局、お父さんの信じていた神さまは助けてくれなかったのか」―その時から、私の心は神に対しての不信と怒りで、これまでの教会への憧れは、いっぺんに吹き飛んでしまいました。(もちろん家族全員が痛みを負ったわけですが。)
 「もう、私は、どんな宗教も信じない。これからは自分の力で、強く生きて幸せになってやる!」と決心したのです。とはいえ、もう父親のいない家では、私まで大学に行くのは無理だろうな、どうしたものだろうか、と茫然と過ごしていたのです。
 しかし、“母は強し”でした。「父ちゃんの唯一の望みは、子ども全員を大学に出すことだったんだから、お前も行きなさい」と言ってくれたのです。
 そのために、母は養鶏をやめ、庭に部屋を造り、近くの大学生を下宿させることにしたのです。その部屋代を私たちへ送金するという考えでした。
 そんな母の苦労をよそに、私は、いやな思い出のある高崎から離れたい一心で、千葉の大学に進学したのでした。

 なぜ教育学部を選んだのか?もちろん、小学校の教師になるためです。
 けれども、大学に入学してからというもの、私は魂の抜けた状態で、勉強など身に入らなくなりました。合唱団に入ったり、YMCAの活動に加わったりしたものの、いつも心はうつろでした。
 そうして、人生というものを思い巡らすようになったのです。自分が、将来教師になって、誰かと結婚して、子育てしたとしても、その後は、年をとって、そして最後には“死ぬ。”人間は死ぬために苦労して生きなくちゃならないのか。いったい何のために?
 そう考えると、人生が急に虚しくなっていったのです。その虚しさを埋めるために、やはり男性を求めるようになりました。しかし、それもことごとくうまくいかず、ストレスから甘いものを食べ過ぎ、太ってしまい、よけいに自分を愛せなくなっていきました。
 だんだんと「こんな人生なら生きていてもしょうがない。死にたい」と思うようになり、夜になると、近くの線路のまわりをうろうろするようになりました。
 ある夜「明日は(死のう)」と思った途端、どこからともなく「求めよ、さらば与えられん」という声が響いてきたような気がしたのです。同時に、子どもの頃、父が買ってくれた絵本聖書の絵を思い出しました。
 「そうだ。一度教会に行ってみよう。死ぬのはそれからでも遅くない。」
 「神さま、あなたは本当におられますか?本当に愛ですか?それなら、私に生きる力を与えてください!」と、私は魂の底で叫んでいました。

 こうして、大学二年生の春、私は近くの教会の牧師を訪ねることになったのです。父の自死のことはともかく、「私には神さまが必要だ」とその晩、神さまを信じました。
 それから、教会の礼拝に続けて出席するようになり、みことばを聞いていると、自分がどれほど罪深いかという思いにかられて、ますます苦しくなってくるのです。
 ある日、礼拝後、椅子から立ち上がれないで座り込んでいると、牧師がつかつかと近寄ってきて私の肩に手をかけ、「めぐみさん、あなたは自分の罪がわかっているでしょう。そのあなたの罪のために、イエスさまが身代わりに十字架にかかって死んでくださったのですよ。それがわかりますか!」と語りかけました。その時、私はハッと我に返り、急いで下宿に戻り、その日はずっと聖書を読み続けたのです。
 夜中も過ぎたころ、ローマ人への手紙の1章から4章あたりを読んで、私は、聖書でいう「罪」というものがどういうものかに気が付きました。あれこれの悪い行いのことではなく、根本的には、神から離れて自分勝手に生きてきたことなのだ。神なぞいらないと背いてきたことなのだと。―夜も白々と明ける頃、私は祈りました。「イエスさま、あなたが私の代わりに死んでくださったのですから、私はもう自殺なんてしません。これからあなたについていきます。」―そうして、その年の10月1日にバプテスマを受けました。
 私は「死ぬ」ことばかり求めていましたが、主は「いのち」をくださったのです。

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」ローマ人への手紙4章25節

2024年8月19日