No.8 私でありたい!

 小学校の仕事を退職して、そのまま神学校へと考えましたが、神学校の入学試験に間に合わず、私はかろうじて“聴講生”として滑り込みました。もともと正規の学生として学びたかったのですから、翌年、2年に編入するためには、全科目、合格点を取っていなければなりませんでした。
 当時、その神学校は男性ばかりで、私が入った時が、五年ぶりの女生徒ということでした。一クラス約20名の男性に囲まれながら、私はわき目も振らず、一心不乱に勉強しました。今思えば“尋常ではない”スケジュールでしたが、朝6時の早天祈祷会、8時半から12時半までの授業、昼食後は午後5時過ぎまで昼寝。夕食後から宿題を始め、翌朝6時までずっと寝ないで、レポートやギリシャ語の暗記などをしていたのです。つまり、昼夜逆転の生活でした。聴講生は、寮生活ができないので、近くの古いアパートにひとりの生活でしたから、こんなことができたのでしょう。
 この狂ったような生活を丸一年間やったおかげで、翌年、2年生に編入が許されたのですが、その頃には、すでに相当疲れていました。そこで、2年目には、否応なく寮に入り、6畳一部屋に女性2人の生活となり、必然的に、夜は12時就寝、朝6時前に起きるという、少しはまともな生活になりました。
 とはいえ、神学校の授業というのは、当時の、救われて3年の私には、「組織神学」とか「弁証論」とか、わけがわかりません。その上英語が苦手なのに、英語のテキストでギリシャ語、ヘブル語を学ぶわけですから、とにかく丸暗記状態で、じわりじわりとストレスが溜まっていきました。午後になると、2階の部屋の窓からぼんやりと外を眺めながら「ああ、私に羽があったら、空を飛べるのに…」などと夢想することも多くなりました。
 いつの間にか、自分が誰なのか、わからなくなったのです。もともと、何事にも生真面目で努力家ではありますが、必ずと言っていいほど“過適応”を起こすので、アイデンティティーというものが、ほとんどない私だったのです。(この問題は、とうとう50代にまで持ち越しましたが。)

 そんな窮屈な授業の中で、唯一、興味をもって楽しく学べた科目は「キリスト教教育」でした。女性の宣教師による指導で、かなり実際的でしたし、もともと「これから教会教育に進むのだ」と考えていた私には、一番身近に感じたのです。
 その先生がある日、「何でもいいから視聴覚教材を用いてお話をしましょう」という課題を出されたので、私は、気の向くまま、紙粘土で指人形を作って、「ザアカイ」の話をしたのです。すると、その年の夏、キャラバン伝道が学校の実践科目となり、私たちは、4人組で石川県に遣わされました。私は、その時に、「子ども会をするのに、大きな人形を使ってお話をしよう」と思いつき、5月の連休に、発泡スチロールを使って、50センチくらいの人形を作成して持参したのです。
 けれども、ほとんど「かかし」のような人形で、口も開かず、両手を少し動かすだけでしたし、第一、声色をどうしていいかわかりません。
 とりあえず、現地で実演した後、見ていたその教会の兄弟が、ひとこと声をかけてくれました。「口が動く人形で声を出す“腹話術”を教えている先生が、川崎にいますよ。」
このひとことが、その後の私の人生を変えました。
私は帰京して、早速その方、野田市朗牧師(春風イチロー師匠)の教会を訪ね、月例会の様子を見学。たちまち“腹話術”の世界に魅せられてしまったのです。そうして、その年の暮れの「初心者講習会」に参加するべく、まず人形を買い求め、天城に向かうことになりました。
 けれども、問題は、人形代と受講料でした。当時、寮生活で、一か月3万円ほどで生活していた者、しかも貯金ゼロの私です。トータル7万円かかるとわかり、途方にくれました。思案したあげく、クリスチャンの姉に電話して借金を申し出ました。けれども、その姉が電話の向こうでしばらく考えて、こう言ったのです。
「返す、と言っても、お前には返せないでしょう。」
「大丈夫、卒業して働いたら、絶対に返すから。」
「無理でしょう。…わかった。出してあげるよ。」
私は、電話を切ってから、心の中で「バンザーイ!」と叫んでいました。この時の姉の尊い献金がなかったら、「腹話術師 高橋めぐみ」は誕生していなかったと思います。

 それにしても、『腹話術とのおかしな出会い』でした。(これは後に書いた本の題名です。)私は、純粋に、「もっとイエスさまに仕えたい。そのために、もっと聖書を学びたい」と思って、神学校を志願したはずでした。ところが、そこで、最も衝撃的に出会ったのは、「人形タカちゃん」だったのです。
 私はなぜ腹話術を始めたのでしょうか。もちろん、「人形でイエスさまを伝えるため」という理由付けはできましたし、「献身者たるもの、そうでなければならない」とも思いました。けれども、心の奥底の真実な動機としては、「私は私でありたい。何か自己表現をしたい」ということだったのです。それをお許しくださった造り主の神さまは、何と寛大なお方でしょうか!

「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。……
あなたの目は胎児の私を見られ あなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々が しかも その一日もないうちに。」
詩篇139篇13節、16節

2024年9月24日