No.10 TOEFLの不思議

 我が家で倒れ、4か月休養した後、私は腹話術10周年記念として、「春風マリヤふるさと高崎公演」を実施するという決断をしました。高校時代に父を亡くした者として、母校転居跡に建てられた文化会館ホールでの公演は、私自身の精一杯の信仰告白でした。
 そうして、すべてを出し切った時、私の心に迫ってきたものは、「もう日本での奉仕は続けられない」という“脱出”への思いでした。その時、親しい友が「めぐみさん、アメリカにでも行ったら。将来のために、タンスの引き出しを増やさないとね」と背中を押してくれたのです。

 とはいえ、普通、アメリカ留学といえば、まずは英語ができて、諸費用も見通しを立ててから決心するものでしょう。その点、私には両方が欠けていました。ただ、ひとつのみことばだけが頼りだったのです。

「主の山には備えがある。」創世記22章14節

 しかし、これには、母が猛反対しました。あまりの心配から怒り心頭で、またすごい手紙がきました。
 「お前は自爆する気か!父親そっくりだ。H(高校英語教師の兄)が行くならわかるが、英語もできない、お金もないお前に何ができる。私が倒れても一切連絡しないぞ!」
 反対したのは、家族だけではありません。教会の牧師には「人生最後のチャンスだね」と言われましたが、尊敬する伝道者の先生には「今更、アメリカになんて行く必要ないのに」とやんわり反対され、神学校の恩師の宣教師に手紙を書いたところ「日本で女性が尊ばれない現状では、留学しても無駄です」という返事がきました。
 確かに、私は、その時ある野心を持っていたのです。「日本ではキリスト教教育の学びができないのだから、留学して学位を取って、日本で指導的立場で出直そう」などと…。

 しかし、どんなに志を高く掲げようと、現実はそう甘いものではありません。とりあえず資金は一年分与えられましたが、何よりも問題は英語力です。目指したアメリカの神学校は大学院レベルのため、入学願書提出には、日本の神学校の成績証明書と共に、TOEFLのスコアが「550」以上なくてはなりませんでした(当時)。
 そこで私は、まず東京に出て下宿し、近くのTOEFLゼミナールで準備することになりました。これから留学しようという大学生たちに交じって、35歳の私が英語の勉強をねじり鉢巻きで始めたのです。
 私がいつ最初のTOEFLを受験したか忘れましたが、確か「430」。「それって、留学を考えるスコアじゃないよね」とある知人に言われました。それもそのはず。大学でも必要最低スコアは「500」でしたから、「あなた、これからどうやって『550』まで上り詰めるつもり?」と言われても仕方がないほど、低い英語力だったのです。
 当時のテストは「聞き取り」「単語」「文法」「読解」の4項目でしたが、私が唯一得意だと感じたのは「文法」だけでした。これが日本の中学から高校、大学、さらに神学校で英語に触れていたはずの私の実力です。いかに、日本の英語教育が受験英語であるかが暴かれる実態です。(もちろん、私自身が、高校からの英語に魅力を感じなくて、少しも努力しなかった結果ですが。)
 TOEFLは、毎月受験しましたが、半年経っても、「500」止まりでした。加えて、ショックなことに、試験官がテストの終了時間を5分間違えて長く与え、その日のスコアがすべてキャンセルされるという事件が起こり、私はぐったりしてしまいました。

 そうして、日本での準備をあきらめ、私は翌年7月に、合格しないままアメリカに飛び、あちらのアダルトスクールに学生ビザで入り、また受験勉強を続けたのです。
 めざす神学校のすぐ傍のアメリカ人の家庭にお世話になり、英語漬けの生活を目指しましたが、やはりロスアンゼルス近郊には日本人も多く、学びもなかなかはかどりません。
 TOEFLのスコアは、また半年経っても「530」がらまりで伸び悩み。もう、ほとほと疲れてきました。

 「主よ、もうこれ位で何とかしてください」という思いで、10回目に受けた時、なぜか苦手な「聞き取り」がうまくいったのです。「ひょっとして」と私にいちるの望みが湧きました。ところが、その日、試験官が「文法」と「読解」の時間配分を間違えて、規定より10分~15分も余分に与えたのです。しかも、私が試験官に誤りを指摘しても、彼女は「いいえ、間違っていません」と言い張る始末。…日本の悪夢、再び!私は「またキャンセルされる」と頭をかかえ、絶望感に襲われつつ、仕方なく見直しまでしていました。
 それから、数週間が経ち、いつもより早く試験結果が送られてきたのですが…スコアを見ると(正確には忘れましたが)「573」?!うっそー、私はその瞬間、頭からバケツの水をバシャーッとかけられたように、背筋までゾクッとしてしまいました。
 何ということでしょう。絶対にあり得ないことでした。「ああ、主は人の間違いまで用いてみこころを成す」と、私は生まれて初めて、主への恐れを覚えたのです。

 なお不信仰な私でしたから、「このことは、神学校を卒業するまでは誰にも言えない」と、内心びくびくしていたのですが、こうして主の憐れみにより、私は入学を許可されたのでした。不思議な経験でした。これも「主の山に備えあり」だったのでしょうか。

2024年10月21日