No.14 「新しい創造」への道
「大事なのは新しい創造です。」ガラテヤ人への手紙6章15節
人間とは、自分で自分がわからないものです。それもそのはずです。自分の意志で両親を決めたわけでもなく、いつ、どこで生まれるかも定められず、ましてや男か女かも選べません。ふと物心がついたら、自分という存在がこの世に置かれているのですから。
私は、いったいいつ頃からかはわからないのですが、「自分は何者なのだろう」という疑問をずっと持っていました。それは、大人になって、クリスチャンになってから、さらに、“献身”してからも、ずっと続いていました。いえ、むしろ神学校で腹話術に出会ってからは、ますますその問いは大きくなっていったのです。
もちろん、信仰を与えられてからは、その問いの答えは、天地万物を造られた創造主の神さまに聞くしかないと理解できました。ですから、アメリカで思いがけない「芸術」としての腹話術と出会ってからは、「芸術伝道」としての腹話術を追求するにあたって、私はふたつの目標を立てたのです。
(1) 新しい腹話術の追求…神さまから与えられた創造性を生かして、自由で芸術性豊かな腹話術を求める。
(2) 新しい腹話術師の追求…技術だけでなく、主にあって霊的・内面的に新しく創造されて、神に造られた本来の自分らしく生きる。
つまりは「技と心の新しい創造」すなわち「ニュー・クリエイション」だと心が定まり、これを日本でのミニストリーの出発点と決めました。
けれども、当然のことながら、「出発」するということは「離れる」ということでもあります。これまでなじんできた土地を離れることはもちろんのこと、腹話術の世界で言えば、これまで教えられてきた技術を離れ、新しい技術に挑戦することであり、それに伴って、今までの相棒であった人形とも別れなければならないことも出てきます。
私は、新しい腹話術を求めて、ふたつの大きなものから離れることになりました。
ひとつは、初心者の時代からお世話になった腹話術の師匠とその仲間たち。すなわち、師匠からいただいた「芸名」を返上して、本名に戻ったのです。それは、アメリカで得た腹話術の理念とこれまでの理念が違いすぎて、もはや両立は不可能となってしまったからでした。
アメリカ在住の内に、師匠には、芸名返上・グループ退会届の手紙を書きましたが、やはり心には一抹の寂しさ、申し訳なさがよぎりました。こんな便りを読んで、師匠はどれほど嘆くだろうか、きっと声をあげて泣かれるに違いないと思いました。私はそれほどに、この方に公私にわたってお世話になり、かわいがっていただいたからです。正に「恩を仇で返す」ようなことではないか…と。その手紙には、とうとう返事は来ませんでしたが、それこそ師匠にとって、どれほどショックなことであったかを物語っていました。
芸名を返上するということは、同時に何百人といるグループのメンバーたちともお別れするということを意味しました。これまで毎年一同に集まり、お互いに演技を見ながら、腹をかかえて笑い、楽しくすごした仲間たち…彼らとも、もうお付き合いができなくなりました。(そんなことは超越して、私と母娘のように交わってくれたひとりの姉妹を除いては。)
私にとって、さらに大きな「別れ」は、日本に帰国して、数年経ってからおとずれました。なんと、20年来の相棒「タカちゃん」を手離すことになったのです。
私は、日本での児童伝道の間、一日たりともタカちゃんを手離したことはありませんでした。毎日、毎日、膝の上に載せ、鏡の前で台本練習はもちろんのこと、互いに語り合ったり、祈り合ったりしてきました。母が作ってくれる洋服を次から次へと着せ替えて、子どもたちの前に立ちました。ハワイ伝道旅行の際は、浴衣を着せて、ベッドで一緒に昼寝をしていると、そこの教会の牧師がびっくりして「君たちはそういう関係なのか!」と声をあげましたっけ(笑)。
これほどの“分身”であったタカちゃんを、私はどうして手離す気になったのでしょうか。それは、彼がまさに私の“分身”であったためです。つまり、“別人”ではなかったからです。そのために、“キャラクター”というものができなかったのです。
腹話術は漫才のように、全く違ったキャラクターがふたりいなくてはなりません。腹話術師と人形は、全く別の存在として生き、考え、動き、言葉を発するのです。
私は、アメリカで入手した複数の人形やパペットを使い、それぞれに「キャラクターボイス」で話すことを学び始めました。そうして少しずつ「ドラマ腹話術」というスタイルの演技を創作していったのです。ところが、タカちゃんはその世界では、まるで浮いてしまいました。顔も童顔なので、顔と台詞がちぐはぐになってしまいます。
試行錯誤した後、とうとう私は一大決心をして、タカちゃんを手離すことにしました。でも、私以上にこの子をかわいがってくれる日本人腹話術師がいるはずはありません。いくらかのお金で売りたくもありません。祈った末、アメリカのケンタッキー州にある「ベント・ヘイブン・ミュジアム」に献品することになりました。世界中の引退した人形が集められている博物館です。連絡すると、館長さんが大喜びしてくれました。日本の人形としては唯一だったからです。
お別れの日、私はタカちゃんに真新しい特注の紋付き袴を着せ、白足袋を履かせて、国際便で送り出しました。まるで出棺のような、なんとも言えない気持ちでした。
その博物館が、最近改装されたそうです。彼は少なくとも、私より長生きするでしょう。
2024年12月16日