No.16 きららとメギーおばさんの星印

 タカちゃんをケンタッキーの博物館に贈呈した後、私は彼が天国で楽しくやっていくだろうと心からの安息を覚えました。実は、その博物館の名前は、“Vent Haven Museum”(直訳すると「腹話術師の安息所博物館」)で、ちょっと“Heaven”(天国)に似ていますから、タカちゃんがとうとう何の不自由もなく、あらゆる言語で海外の人形たちとおしゃべりをしているのを想像するだけで、愉快な気持ちになったのです。

 なぜすっきりしていたかというと、私の頭の中では、次のキャラクターがすでに誕生していたからでした。
 そのモデルは、同じ教会にいた小学生の女の子です。私は、当時の彼女ではなく、彼女がお父さんを亡くした時の5歳の頃の「顔」が欲しかったのです。
 そのお父さんというのは、長野県のある教会で牧師をしておられたのですが、わずか33歳で病に倒れ、3年間の闘病生活の末、奥さんと一人娘を残して天国に旅立ってしまったのでした。私は彼の召される半年前に初めてお会いしましたが、彼の姿と言葉の“美しさ”に、思わず“Jesus is beautiful”の賛美を口ずさんでしまうほどでした。と同時に、その時5歳だった一人娘の子があまりにもかわいらしかったので、「もうすぐ遺されてしまうのか」と思うと、切なくて、心が痛んで仕方がなかったのです。
 その時以来、「この子をモデルにして、女の子の人形を作りたい」と思うようになり、数年後、とうとうお母さんから写真を借り、知り合いの人形劇団に腹話術人形の製作をお願いしたのです。

 そうして出来上がった“世界でたったひとりの女の子”に、私は「きらら」という名前をつけました。キャラクターとしては、5歳ではなく小学3年生位ですが、牧師であるお父さん仕込みのしっかりした信仰を持ち、誰にでもイエスさまのことをストレートに伝える霊的パワーがあります。

 「ちょっと待った!腹話術は漫才のように、ボケと突っ込みがないと成り立たないじゃないの?相棒の人形があまりにもまっすぐなら、腹話術師が正反対のキャラを演じないといけないでしょ!」
 そうです。そうです。そうでなくては、両方がまっすぐに福音を語ってしまうことになり、おもしろくもなんともありません。
 そこで、私は自分が未信者を演じたらいいと気づいたのです。
 私自身が未信者になる。・・・それは、それほど難しくはありませんでした。なぜなら、自分の中にはまだまだ聖別されていない、弱い部分がたくさんあり、「もし未信者だったら」と想像すると、次々と行動や台詞のイメージが湧いてくるのです。
 「私は『メギーおばさん』になろう」と決めました。実際のモデルさんにもおばさんはいますが、クリスチャンですし、そこらへんは全く創作で、むしろ私自身が「きらら」のおばさんとして存在することにすればよいわけです。

 「メギーおばさん」は、独身貴族で、学歴、仕事、お金にも恵まれているのですが、実は心の奥底に劣等感をかかえ、男性にもてないことを気にしています。信仰にはさほど関心がないのですが、なぜか近くに住む「きらら」を溺愛していて、まるで自分の娘のようにかわいがっているのです。そんな「メギーおばさん」に対して、「きらら」はいつも率直に疑問を呈したり、イエスさまを信じる幸せについて説いていくのです。
 そんな「きらら」が、ある日いつもお母さんと読む本だと言って、『大切なきみ』を持って訪ねてきました。「メギーおばさん」は聖書ではなく絵本だと知り、にわかに興味を示して「きらら」と一緒に読み始めました。

 絵本の中の「ウイミックス(木のこびとたち)」たちは、この世の価値観で互いを評価し合い、お星さまシールをくっつけたり、灰色だめ印シールをくっつけ合っています。その中でパンチネロはいつも灰色だめシールばかりで、すっかり気落ちしていました。
 「メギーおばさん」にはその世界がよくわかりました。自分も全くそのように生きているからです。それで、パンチネロは気の毒だけど世の中の必要悪のような存在だと言い放ちます。その点、「きらら」はこの上なくかわいくて優秀な姪っ子ですから、満点星印なのですが、「きらら」は「私はルシアのようになりたい」と言うわけです。なぜならルシアにはどんなシールもくっつかないからです。
 どうしてそんなことが起こるのでしょうか。それは、ルシアは毎日造り主エリの所に行き、エリと会話していたのでした。それで、ある時、パンチネロもエリに会いに行き、エリから驚くべき声をかけられます。
「お前はわたしが造ったから大切なんだよ。」
そのことばに、さすがの「メギーおばさん」の心も揺らいでくるのでした。

 このドラマ腹話術は、あくまでも絵本の『大切なきみ』に沿ったもので、私の完全な創作とは言えませんが、未信者を演じたお陰で、この世の価値観からいかに脱却すべきかを深く探られて、まずは自分が大いに恵みを受けた作品となりました。主に感謝です!

「もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。」ヨハネの手紙第一2章15節

2025年1月20日