No.17 恵娘のおけいこ

 親というものは、(私は経験がないのでわからないのですが)たとえ“子ども好きではない”人でも、自分の子どもにだけは「何でもしてあげたい」と思うようです。特に、自分が「ああ、あれがあったら」「あのことをしていれば」と、“たられば”の願望を持っている場合、それを子どもを通して実現させようとする傾向があると言われます。
 私の両親も、まさにその典型でした。前述したように、父も母もそれぞれ夢破れて、その無念さを全部子どもの大学進学と将来にかけていたのです。
そんな親に育てられて、上の姉ふたりは薬剤師、兄は教師になりましたが、私だけがせっかく教師になったのに、たった一年で放り出した大変な親不孝者なのです。しかも、姉や兄と違って、いっこうに結婚しないで、腹話術師などになってしまいました。

 「でもなあ、こんな私がもし結婚して娘がいたとしたら、どんなことをさせてあげたいかなあ」と、ある日思い巡らせたことでした。「やっぱり、自分が“出来たらよかった”“やっておけばよかった”と思うことをやらせるのだろうな」と思いました。
 そこで、とうとうドラマ腹話術の中で、それを表現してみようと考えたのです。

 まず「恵娘」(めぐみの娘という意味で「けいこ」と読みます。)という小学校3年生が主人公です。―これを、当時50歳の私が演じたのです。―当然おかっぱのウィッグをかぶって、だぶだぶのオーバーオールを着て、声は高めでしゃべります。
 「恵娘」の毎日は、おけいこだらけでした。そのことを「恵娘」は愚痴をこぼしながらも、一応親に従って励んでいました。家でひとりになると、おもちゃのウクレレを引っ張り出して、こう歌うのです。―曲調は、かつて牧伸二が歌った『いやんなっちゃった節』です。

 ♪ 月曜日は 腹話術
 ♪ 火曜日は お歌の日
 ♪ 水曜日は ピアノの日
 ♪ 木曜日は テニスの日
 ♪ 金曜日は お料理で
 ♪ 土曜日は 図書館へ
 ♪ 日曜日は 教会で
 ♪ あー 毎日 おけいこよ
 ♪ あーああ いやんなちゃった
 ♪ あーんがんが おどりいた

 これは、じつは笑いごとではないのです。すべて、私が「習っていれば良かった」「途中でやめなければ良かった」「これは絶対にやらせたい」ということばかりなのです。もともと“完璧主義者”の私のこと。きっと、母親になったら本当にこういうことを子どもに押し付けたかもしれません。子どもにとっては、ものすごく威圧的で嫌な親だと思われたことでしょう。

 劇中で、「恵娘」も自分が将来親になったらどうするか、赤ちゃんパペットを引っ張り出してこう言い聞かせます。「あなたは何をしてもいいのよ。何もしなくても怒らないからね。私と違って自由に生きていいのよ」と。すると赤ちゃんはひどく泣きだします。「恵娘」はそれで苛立ち、「何で泣くのよ。あんたのためでしょ。このわからずや!」しかし、それで赤ちゃんはますます大声で泣き叫ぶのです。これはいったい、何を暗示しているのでしょうか・・・。

 そんな中、「恵娘」は自分の母親の日記を見つけて、盗み読みをすることになります。日記からは母親の声(私の地声)が聞こえてきます。「母親の愛を疑っていた自分が、実は愛されていたことに気づいて悔い改めたこと。十字架が互いの架け橋になった夢をみたこと。自分の恵娘に対する子育ては最善かはわからないが、神が必ず導いてくださると信頼しよう」というような内容がつづられていたのです。
 そこで、「恵娘」は、「何だかよくわからないけど、お母さんもおばあちゃんと色々あったのか。でも、このおけいこも私のためを思ってやらせてくれているんだ。じゃあやるだけやってみよう。そしたら最後には何か残るよね」と自分なりに納得するのでした。

 これら一連のひとり芝居で、使った声色は全部で9色。物語の長さは20分余りですが、とにかく「恵娘」の声は出しっぱなし。それで次から次へとパペットを変えてキャラクターボイスを出していくわけですから、私自身にとっても、非常に難度の高い技術が必要でした。

 母娘4代の確執を描いたドラマ腹話術・・・実際に母と私との間の問題が根本的に解決したのは、この5年後でしたが、これはこれで、おもしろい展開の証しだったと楽しみながら観ています。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」詩篇37篇5節

2025年2月3日