No.18 しあわせの灯
私のドラマ腹話術で用いてきたキャラクターの中で、一番ユニークなのは、「バツイチ・ケリー」の次に「アンディー・ホームレス」ではないかと思います。
元ホームレスのおじさんが救われて、ホームレス伝道者になったという設定なのですが、このキャラクターに至るまでは、やはり様々な私の体験がありました。
これもアメリカでの出来事でしたが、留学二年目に、私は色々な出来事が重なって、ノイローゼ気味になり、日本人教会の知り合いの牧師に助けを求めたのです。すると、彼の教会に関わる日本人男性が、ロス・アンゼルスのダウンタウンでホームレスの人々のカウンセリングをやっているということで「彼に話を聞いてもらったら?」と紹介されました。
私は、藁をも掴む思いで、その方に連絡していただき、教会でお会いすることになったのです。
その先生は、最初は黙って、私のまとまらない呻きや嘆きにじっと耳を傾けて聴いてくださった後、おもむろに、「救われていても、悩むものです。私も聖書の一節の意味がいつまでもわからなかったという経験があります」と、ご自身のことも分かち合ってくださいました。そして、色々な角度から、私の混乱した頭の中を丁寧に整理してくださったのです。細かいことは覚えていないのですが、彼が最後に私のために英語で祈ってくださったことが一番心に残っています。(アメリカの生活が長く、奉仕も全部英語でなさっているので、すっかり身についておられたのでしょう。)おかげで、私の体の中を温かい血が巡るのを感じ、魂の底から力が湧いてきて、帰りの車の運転が本当に楽になったことを覚えています。
それ以来、私は「“ホームレス伝道者”というキャラクターを作ろう」という気持ちになったのです。しばらくの間、アメリカ製の小さなピエロのような顔の人形を使っていましたが、それが実は有名なキャラクターの模型だと後で知り、「全く新しい顔の人形を作らなくては」と考えるようになりました。
ついては、その顔ですが、なぜか、イメージとしては、当時知る人ぞ知る、俳優の田中邦衛さんでした。教会の絵のうまい姉妹に似顔絵を描いてもらい、それを友人の姉妹に見せたところ、「うちの主人が、先日行った教会で田中邦衛に似ている人に会ったと言ってましたよ」と教えてくれたのです。(彼女のご主人は、キリスト教系の新聞社の記者でした。)
ちょうどそんな話があった頃、「今度、その人がいる教会の集会に取材に行くので、一緒に行ってみたらどうですか」と勧められ、喜び勇んで、ご主人に連れていっていただくことになりました。
いよいよ、その教会に向かったのですが、私はびっくりしてしまいました。なぜって、私はそれまで8年間、横浜の石川町駅を下車してキリスト教主義の学校の講師として通っていて、なじみのある場所だったからです。ところが、めざす教会は、駅を降りて、学校とは正反対の方向に曲がったところにあったのです。「寿町」という名前のイメージとは正反対の荒廃した地域でした。そこは、元々韓国人の婦人が開拓したホームレスの方々のための教会なのだそうです。
そこで出会った“この人”は、本当に田中邦衛さんによく似ていて、思わず吹き出しそうになりました。彼は、自分がホームレスからいかにして救われたかを証ししてくれましたが、その後の彼の奉仕活動は目覚ましく、リーダー的存在として、炊き出しや祈り会、聖書研究会と毎日忙しく充実しているとのことでした。
それにしても、私にとって、衝撃ともいえる出会いは、教会員の方々が「これから、僕らのテーマソングを歌います」と言って、男性牧師のギター伴奏で歌い始めた歌そのものでした。なんと、私が(当時からしてさらに20年前)救われた頃、諸教会で流行っていたゴスペルフォークソング『しあわせの灯』だったからです。
淋しい夜の街をさまよう友よ しあわせの灯を どこでともすの
しあわせの灯は 十字架の上に しあわせの灯は 主イエスの御手に
淋しい夜の園で 主は祈られた 淋しい友のために 主は祈られた
やさしいイエスの胸に 帰ろう友よ 闇夜にさよならして 帰ろう友よ
私はこの賛美を聞きながら、自分がどれほどの虚しい生活から救われたか、闇夜の中を放浪し、線路の前に立ちすくんだか・・・教会にたどり着くまでの日々をありありと思い出し、涙が止まりませんでした。
このような不思議な出会いを通して、「アンディー・ホームレス」は誕生し、ドラマ腹話術『しあわせの灯』は完成したのです。
この作品を観る度に、今でも、私は胸がいっぱいになり、涙があふれてくるのです。
「あなたがたが切り出された岩、掘り出された穴に目を留めよ。」イザヤ書51章1節
2025年2月17日