No.20 完了した。

 神さまのご計画は、クリスチャンになっても、しばしばわからなくなるものです。
 私の「腹話術25周年記念ライブ」が“成功”のうちに終了し、その二か月後、私はキリスト教主義の学校の講師を退職し、念願の腹話術伝道に専念することになりました。「とうとう、すべての時間もエネルギーも腹話術にかけられる!」と、私の心は喜びに溢れており、これからはどんな「ドラマ」を作成しょうか、どんな所へ奉仕に行こうかと、色々なアイデアが頭を駆け巡っていました。
 「その前に、もう一回、違った場所で『25周年記念ライブ』を開こう」と、横浜の会場を予約したのです。すると、今度は他のテレビ局から「ライブの宣伝をかねて、出演してください」という申し出があって、「これはすごい主の導きだ!」と、小躍りしました。

 しかし、その番組収録の直後から、私の喉は変調をきたし、一か月後のライブまで、私は、毎日「声が続くだろうか。キャンセルしなくてはならないのか」と悶え苦しみました。それでもチケットを販売していたこともあって「主よ、舞台の間だけは声を与えてください」と祈りつつ、何とか集会を終えました。

 キリスト教界もテレビの影響力は小さなものではありません。この年、ふたつのテレビ番組に出演したために、私のドラマ腹話術は、多くのクリスチャンの目に留まったらしく、それから毎週のごとく、遠くからも伝道会奉仕の依頼が来るようになりました。
 ところが、それとは裏腹に、私の声帯はどんどん弱くなり、どこへ行っても「演じる時だけ声を出しますので、それ以外はお話できなくてすみません」と言いながら、なんとか奉仕を続けるという始末でした。

 そうして、3年後、2005年の5月。とうとう腹話術の声が全く出せなくなったのです。もちろん、いくつもの“声帯に詳しい”耳鼻科を捜しては診ていただきましたが、どこの医者も首をかしげるばかりで、病名すらつきません。
 「主よ、なぜですか?どこが悪いのですか?主が打たれたのなら、私のどんな罪の故ですか?」
 それから丸一年間、私の魂は混乱していました。先々の奉仕予定はすべてキャンセルしながら、どんどん生きる気力がなくなっていきました。「死にたいとは思わないけど、この先どう生きていったらいいのかわからない。私から腹話術を取ったら、もう私ではないのだもの…」というのが実感でした。
 しかし、反面、心のどこかで「そういうところに立ってしまったから、それが間違いだったんじゃないの?」という声がするのです。「そうだ、いつの間にか、“イエスさまいのち”と言いながら“腹話術いのち”になってしまって、賜物に存在をかけてしまったのだ。だから、賜物を取られたら、存在までわからなくなってしまったのだ」と、少しずつ問題の根本が見えてきたのです。まさに、「存在のアイデンティティー」の問題でした。

 悶々とした一年が経っても、私の腹話術の声は全く戻ることなく、かろうじて話し声だけはなんとか出るようになりましたが、結局、「腹話術伝道『ニュー・クリエイション』を閉じよう」と決心せざるを得なくなりました。同時に『ニュー・クリエイション腹話術倶楽部』も閉じることにして、20名ほどの生徒たちにお別れを告げました。

 ちょうどその頃、2006年の3月。「今日は受難週の金曜日だ」と気が付いた日でした。ふっと十字架上のイエスさまの御声が耳に響いて来たのです。

イエスは酸いぶどう酒を受け取ると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。ヨハネの福音書19章30節

 今考えれば、当時の私の状況と主の十字架上のことばとは、何の脈絡もないような気もするのですが、なぜか、本当にそのひとことが、私の心の深い傷を和らげるように、響いてきたのです。その途端、私は「ああ、なぜかわからないけれど、これでいいんだ。神さまには何かお考えがあって、私から腹話術を引き上げなさったのだ」とわかりました。

 それ以来、本当に不思議なことに、私から腹話術への情熱も未練も、人形をかわいいと感じる心さえ、すっかり取り去られてしまったのです。まるで長年背負っていた重荷をどさっと降ろしたごとくに身体も軽くなり、全く自由な気持ちになりました。
 ですから、今まで大変な執念で作製したオリジナルキャラクターも、販売物のパペットも、その他腹話術に関するあらゆる資料も、すべて生徒のみなさんにお譲りすることができたのです。
 今思えば、その時まで、私の腹話術指導についてきてくださった皆さんは、どれほど失望落胆されたかと申し訳ない気持ちでいっぱいですが、その時点では、何とも致し方ない展開でした。お互いに、その数年後何が起こるかなど想像もつかなかったのですから…。

2025年3月17日