No.24 十字架と地球
腹話術が出来なくなっても、父と母の問題が解決して私はすっかり安堵し、「ああ、神さまはこのような癒しのために、腹話術の賜物を引き上げなさったのだ」と腑に落ちる思いでした。
けれど、そういう心境でいられたのはほんの束の間でした。なぜって「それではこれからどのようにして生活していくの?」という現実問題が重くのしかかってきたからです。誰だって、働かないで食べていかれるはずはありません。貯金もほんのわずかでしたから、次第に焦ってきました。
こんな時は、周囲の人々の言葉がいちいち心に刺さってくるものです。未信者の姉からは「もっと狭い部屋に引っ越しするんでしょ」とせかされ、私は内心「引っ越しするには、収入証明がなければ部屋を借りられないじゃないの。第一、私は今、仕事ができる体調ではないのよ!」といらだってしまいました。
クリスチャンの友といえども、私の状況を正しく理解していた人はほとんどいませんでしたから、「何もしないでよく生活できるね」「お金持ちなんだ」というような慰めにもならない言葉をかけられ、ひどく傷つきました。
でも、そんなことでへこたれていては生きていけません。「何とかして、今の自分にもできる仕事を探さなければ」とハローワークに通い始めました。けれども、求人は、ほとんど「保育士」とか「軽作業員」とかばかり。窓口のアドバイザーは、私が50代だと言うと「う~ん、むずかしいですねえ。とにかく即戦力が必要ですからねえ」と渋い顔をします。
それでも近くで、ある学習塾が講師を募集していて、何とか中学生の英語の担当として雇われました。ところが、ここが大変な“ブラック”で、生徒も全く学習意欲がなく、それはそれはしんどい仕事でした。
そこで、他の塾に応募しましたが「35歳まで」という年齢制限があり、受け付けてもらえません。それではと、近くのスーパーやホームセンターなど、片端から電話してみても「日曜がダメなら話になりませんね」と即断られます。ある時は、給料をいただける3カ月のパソコン教室(職業訓練)があって飛びつきましたが、ほんの少し経済的に助かったものの、パソコン技術は使い物になりませんでした。(すぐに忘れます!)
こんな状態が2年近くも続いたでしょうか。久しぶりにまたハローワークに行ってみると、窓口の女性は私の顔を覚えていて「ああ、あなたには仕事はありませんよ。今までやってきたことをやってください」と突っぱねられてしまいました。
「今までやってきたことができなくなったから、探しているんじゃないの」と腹が立ちましたが、私は絶望感に打ちひしがれ、途方に暮れてしまいました。(この女性の台詞は、まさに“預言”であったことを後に知ることとなるのですが…。)
そんなある日、あれは2009年の1月下旬の夜でした。他県のハローワークで働いている若い姉妹が教会を訪ねてきたので、私は思わず「ねえ、聞いて」と彼女に苦境を吐露してしまいました。すると彼女が「祈りましょうか」と言うので、共に祈ることにしました。
その時の私は自己憐憫の思いに覆われていて、しばらくはただ「主よ、助けてください。私はどうしたら良いのでしょうか。何をして生きて行けばいいのでしょうか。わかりません…」と訴えていましたし、その姉妹も必死に執り成してくださったのですが、とうとう二人とも祈りの言葉が出てこなくなって、しばらく沈黙の時間が流れました。
するとどうでしょう。突然、目を閉じて下を向いていた私の前に、幻が現れたのです。それは、あまりにもくっきりとした映像でした。とにかく大きなクリスタルの十字架が立ち、目の前は深い暗闇の宇宙。そこにぽっかり浮かび、静かに自転する青い地球・・・私が霊の眼でその地球をぐるりと見まわすと、耳元で誰かの声が響いてきたのです。
「この世界には、この方以外に救いはない。」
ああ!と私は飛び上がらんばかりに驚きました。
そうだ!この十字架にかかられたお方以外に、世界中どこを探しても救いはない。
それは、使徒の働きのみことばだとすぐにわかりました。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」使徒の働き4章12節
「主よ。わかりました。私はこれからの人生を、十字架にかかられたイエスさまを伝える働きのためにお献げします。」
それはまるで一瞬の出来事のように思えましたが、私はその晩、まさに「再献身」の決断をしたのです。それまでも、『5つのパンと2匹の魚』の箇所などから、「神さまに持てるものはすべてを献げたい」と願いつつ、具体的な道が見えなくて逡巡していたのです。
けれども、その晩、私は「これが神さまからの私の召し」と確信しました。まだ何も見えなくても、きっと時がきたら、「ここを歩め」と主は示してくださるに違いないと。
この時の「十字架と地球の幻」は、伝道師である今も、心に鮮明に残っています。
2025年5月19日