No.25 パッションが戻って来た!
2005年の5月に声帯を痛め、翌年腹話術師の現役引退となった私でしたが、その時は、「もう一生、腹話術をすることはないだろう」と、あらゆる情熱を失っていました。
そうこうするうちに、「十字架と地球の幻」を与えられ、「神さまのご計画はどこにありますか?」と祈りつつ、待ち望むようになりました。
再献身をした翌年の5月のある日。教会の姉妹が、私の「腹話術25周年記念ライブ」のビデオを観ながら「めぐみさんが昔腹話術をやっていたことを知っている人は少なくなったかもねえ」と語り掛けてきました。私は、なぜかその時、心の中で「ああ、たった5分でもいいから、また腹話術ができたら、今度は、ちょっとした交わりの時にでも演じるのになあ。そうしたら、子どもも大人もみなさん喜んでくれるだろうなあ」と思ったのです。
そういう思いが湧き上がること自体が不思議でしたが、その時の私は神さまに祈ったのです。「神さま、本当に5分でもいいのです。また腹話術ができるようにしてください。」
そうして、試しに、長らく遠のいていた腹式呼吸の練習と人形の頭声を出してみたのです。
するとどうでしょう。以前のようなハリのある声ではないですが、明らかに頭声が出るではありませんか。そこで、少し短い台本を思い出して、声だけの腹話術をやってみました。なんとかなりそうです。「やれる!」と思ったら、ものすごい喜びが心の底から突き上げてきました。
途端に、私はパソコンに向かい、手頃なパペットを通販で売っている店を検索し、何かないかとかわいい動物のパペットを捜し始めました。
「あった、あった。これにしよう!」私はある動物を選び、早速注文したのです。
それは、“シロクマの赤ちゃん”でした。
翌日届いたその子を腕に抱いて、私は鏡の前に立ちました。すると、突然彼は、私の胸を叩いて、こう言ったのです。
「ぼく、トントンだよ。イエスさまごっこしようよ。」
「えー、イエスさまごっこって、どんなことするの?」
「ぼくがイエスさまになって、色んな家の戸を叩くの。」
「ああ、そうか、心の戸を叩くイエスさまのことね。」
私は、すぐにみことばを思い出しました。
「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ヨハネの黙示録3章20節
こういうやりとりの結果、ふたりの会話は次々と生まれてきて、すぐに10分の台本『トントンのイエスさまごっこ』が誕生したのでした。
こうして新生第一号が生まれると、私のパペットへの思いはとどまりません。カタログを眺めているうちに、これと思う動物が次々としゃべりだすのです。「ああ、この子がいれば、こんな話ができる。こんなメッセージが語れる」と、買わないうちから、物語を考える私でした。かくして、数カ月の間に、私の部屋はパペットだらけになったのです。
早速、教会の愛さん会の時に、いくつかの話を披露しました。みなさんは、驚いたり、喜んだりでした。
それから半年後、牧師に「今度、腹話術でクリスマス礼拝の証しをしてください」と依頼され、早速15分の台本を書き、女の子のパペットで練習を始めたのですが―何と、直前に風邪を引き、それがきっかけで腹話術の声がまた出なくなってしまったのです。
残念でなりませんでしたが、結局当日は、素話の証しをさせていただきました。
「ああ、やっぱり、私にはもう15分の腹話術は無理なんだろうなあ…。」夢中で買い込んだパペットを見つめながら、私はすっかり失望落胆してしまいました。
「神さま、確かに私は5分でいいからと、お願いしましたので仕方ありません。欲張ってごめんなさい。」
ところが、そんな意気消沈した私を神さまは憐みによって顧みてくださいました。
5年前、完全に閉じた『ニュー・クリエイション腹話術倶楽部』のメンバーたちが、ある教会で続けて集まっている、という情報が耳に入ったのです。しかも、彼女たちは『ゴスペル腹話術クラブ』と名前を変えて、毎月自発的に練習を続けているというのです。
本当に驚きました。というより、大変な衝撃を受けました。「もう、私には教えられませんが、みなさんは、十分独り立ちできますから」とお別れのスピーチをしたはずなのに…彼女たちは、帰り道で喫茶店に寄り「一人じゃできないわよね。これからも一緒にやりましょう」と“結束”したらしいのです。
数か月後、その教会を訪ね、姉妹方と語り合った結果、私はそのクラブの講師として受け入れていただくことになりました。まことに、主がそのように気落ちした私の心を引き上げてくださったことには、ただただ感謝あるのみでした。
2025年6月2日