No.27 神の子のアイデンティティー

 かつて、30代でアメリカに行った時、白人のクリスチャン相手に、「“Who are you?”と聞かれたら、何と答えますか?」と聞き回ったことがありました。もちろん「僕は〇〇だよ」と名前を即答してきたり、「私は看護師だわ」と職業を教えてくれたりした人がほとんどでした。ところが、ひとりの青年だけが「僕は“Child of God”さ」と笑顔を持って答えたのです。それは、当時の私にとっては少なからず衝撃でした。
 私は何と長い人生をかけて、「自分は誰か」の答えを追い求めてきたことでしょう。
もちろん、今はその答えを明確にいただいています。「私は“神さまの子ども”」です。
ところが、この答えを実に多くのクリスチャンが実感していないのです。
ほとんどが、名前、職業、肩書、〇〇の妻などを「自分は誰か」の答えとしてとらえています。でも、それらはすべて“変化”しうるものでしょう。名前は自分で変えることもできるし、結婚や離婚で性が変わることもあるし、仕事や肩書も転職や退職で変わります。
 私が「あなたは誰ですか?」「自分は誰なのだろう?」と追及してきたのは、「存在の本質として誰なのか」という意味で、生きる上での根本的で、生涯変わりえないものとしての問いでした。
 それを探し求める人は、多くの場合、「自分には何ができるか」「何が得意であるか」「どんな賜物を与えられているか」という能力や賜物に見出そうとするようです。そして、そこに自分の存在価値を置いているのです。

 私は、クリスチャンになっても長い間、特に腹話術を始めてからは「私は腹話術師で生きよう」「私は腹話術伝道者である」というところに存在をかけてきました。ですから、28年後に、人形の声を失い、腹話術ができなくなってからは、「私はもう何者でもなくなってしまった」と茫然自失の境地に陥ってしまったのです。
 それでも、その経験は、私の人生で実に重要な分岐点となりました。それからの5年間の内で、私は神さまの御前で何者であるかを深く自覚できるようになったからです。
 私は生まれつきの罪人であった。しかし、イエス・キリストを信じる信仰によって「神の子どもとされた」者であり、この存在のアイデンティティーは一生変わらないものなのだという自己認識に至ったからです。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」ヨハネの福音書1章12節

 2012年5月。私は念願の伝道者としての道を歩むことになり、その名を上記のみことばから『神の子ミニストリーズ』と名付けました。これは私の残る人生のライフワークになるだろうな、という気持ちでした。
 ところが、ほとんどの人には、これが何をめざすミニストリーなのかわからないようで、よく「何をする働きですか?」と聞かれます。そう聞かれるとこちらもなかなか説明がしづらくて「まあ、信徒教育分野のミニストリーです」と答えたりしたものです。けれども、これからは「クリスチャンが神の子のアイデンティティーをもって生きることを励ますための活動です」と答えることにいたしましょう。
 結局のところ、人々は、私が礼拝メッセージやパペットメッセージをする、ゴスペル腹話術を教える、色々な本を書いている、という外側から見える活動だけに心を留めて、「どうして『神の子ミニストリーズ』なんていう名称なのだろう」と不思議がっているのですから。
 確かに、神さまは私に、「語る」「演じる」「書く」「教える」というような賜物を与えておられます。けれども、それらはすべて手段であって、それを用いて表現していることというのは、ほとんどアイデンティティーに関わるテーマなのです。それは、私にとって、生きるということは、神さまからゆだねられたテーマを伝えることにあるからでしょう。

 それでは、「神の子のアイデンティティー」とはどんなことが含まれるのでしょうか。

  1. 神の子とは誰か
  2. 神の子の特権とは何か
  3. 神の子として生きるとはどういうことか
  4. 神の子の祝福とは何か

 などなど、色々な角度から学べると思います。

 23歳の時、主イエスは私を召し「わたしの小羊を養いなさい」(ヨハネ21:15)という命令をくださいました。この同じみことばに応えて、たくさんの方々が献身し、それぞれ違った使命に生かされてきたことでしょう。
 ひとりの人間にできることなどごく限られた、ちっぽけなものだと思います。おまけに私は独身で、なぜか同労者も与えられず、たったひとりで、日本にひとつしかないようなスタイルで奉仕をさせていただいてきました。「日本の諸教会のクリスチャンの成長のために」と言いながら、ほんの一握りの方々にしか仕えることができません。でも、それでも主は良しとしてくださっていると信じて、一歩一歩進んでいるところです。

2025年7月7日