No.28 聖霊の風が吹く時

 私は、腹話術を通していったい何を求めてきたのでしょう。
もちろん、主の愛を証しすること、みことばを伝えること・・・。そのために、途方もなく難しい技術に挑戦し、何体ものキャラクターを生み出し、舞台のためには大変な財も投じました。けれども、現役時代の28年間では、結局は到達しえなかった“何か”が残っていました。といっても、それがどういうことなのかは、“その時”が訪れなければわからないものです。
 そして“その時”は、私が65歳(腹話術40周年)を迎えた2017年に突然与えられたのです。
 その日は、自分の属する教会の「収穫感謝の集い」で、礼拝後、愛さんの中で何人かの証しがあり、その一人として私は人形「ルッちゃん」をスタンドに座らせ、講壇の隅に立ちました。
 何のことはない、この人形は、腹話術指導の時に、模範演技をするために購入した(私にとっては安物の)褐色の顔をした女の子のパペットでした。すでに、公の腹話術師としては引退しているし、声も長続きしませんから、その日のために短く6分の台本を書いたのです。でも、その内容は、私にとっては、いつにも増して正直で、心からの証しでした。(腹話術だから語れたことかもしれません。)
 今回は、みなさんにその台本をご披露いたします。ご笑読ください。

「ルッちゃんの誕生秘話」

〇 みなさん こんにちは 高橋めぐみと
× ルッちゃんでーす
〇 どうぞ
× よろしく
〇 ルッちゃん 今日は あなたの誕生秘話をお話しましょう
× えっ そんなのあるの
〇 この秋まで 礼拝メッセージはルツ記だったでしょ
× そうだった
〇 モアブのルツが ナオミについてきて ベツレヘムでボアズと結婚するの
× すてきな愛のお話ね
〇 そこで私 みことばを聴きながら ひとつのお祈りをしていたんですよ
× どんな
〇 神さま 私は結婚の祈りを 続けるべきでしょうか やめるべきでしょうか
× ・・・あなたが
〇 これでも私 結婚のことは ずっと願っていたのよ
× そりゃあ 願うのは自由だけど
〇 なによ
× 相手がいないでしょ
〇 いないからお祈りするんでしょうが
× それで
〇 親しいご婦人方に「祈ってください」と言うと みんな口をそろえて
× お・そ・す・ぎ・る
〇 そうじゃなくて「結婚なんて大変ですよ 一人の方が気楽ですよ」て
× それが真実
〇 そういえば どこのご夫婦も大変そうですね
× そう 甘くないのよ
〇 それでも私は祈っていたの そしたらね
× どした
〇 イエスさまに「あなたはどうして結婚したいのですか」と聞かれたの
× それで
〇 私答えたわ 「主よ 一人ではなくふたりで神さまに仕えたいのです」
× うっそー
〇 うそじゃないわよ
× あたし知ってる あなたのホンネ
〇 何よ
× お金でしょ
〇 えー
× 貯金はないし 家はないし
〇 そんな言い方しないでよ
× 仕事がなくなったら 最後は孤独死か~
〇 ひどーい・・・まあ 時々人恋しいのは事実だけど
× ときどき
〇 そうね ときどき
× じゃあ 時々 旦那がほしいんだ
〇 だから それじゃあ 結婚にならないじゃないの
× 正直になりなさいよ
〇 何を言いたいのよ
× 要するに あなたは自己中なのよ
〇 ・・・そうか そうかもしれないわね
× それで どう答えたの
〇 イエスさま 私はやはり 経済的なことと孤独が不安です
× それでよろしい
〇 そしたらね イエスさまがこうおっしゃったの「わたしの愛だけでは足らないのか」
× ひゃー 言われちゃったわね
〇 イエスさまごめんなさい 孤独だと思う時は イエスさまから心が離れている時です
× お金のことは
〇 「5つと2匹と言ったでしょ」て
× 5つと2匹
〇 「あなたの持てる5つのパンと2匹の魚 全部こちらに渡しなさい
そうすれば わたしが祝福して人々を養い あなたも食いはぐれることはない」
× そんな約束してくれたの
〇 そうよ あれは8年前だったかなあ
× なーんだ それなら いいじゃん
〇 そうなのよね それで 結婚を祈る理由がなくなっちゃってさ
× やーめた
〇 代わりに決心したの 私はキリストの花嫁になることをめざそう
× ふつつかな女ですが
〇 イエスさま あなたを主人として歩みます
× それがいい それがいい
〇 そんな時 あなたと出会ったから 名前を「モアブのルッちゃん」とつけたのよ
× あらー 光栄だわね
〇 だから あなたもキリストの花嫁になってね
× やだー あたしはボアズと結婚するの!

〇 おそまつさまでした
× サンキュー         <終わり>

 これまでで、最もシンプルな一体の人形で、しかもたった6分の演技でしたのに、教会のみなさんは大笑いしてくれました。私は、演じながら、聖霊の臨在と背後の主の憐れみと恵みを感じていました。これだけありのままの自分でいられることの喜びで、心が満ち足りていたのです。
 終わると、ある兄弟がニコニコしながら「またやって!」と声をかけてきました。
牧師が「ほんとに不思議だねえ。人形が生きている」と感心したように言いました。
 この40年間で、求めて、求めてきたものは、「生ける主を中心とした、術者、人形、会衆の霊の交わり」とでもいいましょうか。「これだったのだなあ」と私は心底納得できました。
「ようやくたどり着くことができて、私は何と幸せな人間だろう」と主に感謝をささげました。そして「これで私の腹話術は終わってもいいな」と思ったことでした。
事実、これが正式な腹話術の実演としては最後になったのです。

 「えっ?!ようやく“究極の腹話術”を味わったなら、これからも続けます、ではないの?」と、みなさんには解せないことかもしれません。
 でも、これと似たような現象が、その年の前後に、「ノントーキングパペット」による集会で、続いたのです。
 クマの親子のパペットで、子どもの時の私と父との関係の証しを演じた後、私が証しメッセージを語るという集会が何回かありましたが、まさにご聖霊が働いていることを感じながら、演じ、語ることができたのです。腹話術とは違って大笑いはしませんが、会衆のみなさんが心を開いて微笑み、私の証しに涙ぐみながら耳を傾けてくださいました。
 ある伝道礼拝では、格別聖霊の働きを感じましたが、後でアンケートを見ると、4名もの方々が信仰決心をされていました。時には、主に促されて私自身が招きをすることもあり、決心者が手をあげてくださることもあります。

 そういうわけで、私は、腹話術から次の段階に移り、パペットを用いた伝道会で、ご聖霊が働く時の醍醐味を味わうことが多くなったのです。
なんという幸いなご奉仕でしょう。改めて、パペットを与えた方は主であり、主には特別なご計画があったのだと、思わざるをえません。
 腹話術からパペットへ・・・私としては、その都度その都度、もがいたり葛藤したりしたような気がしますが、神さまにとっては、すべては「初めから定めていたこと」なのに違いありません。そこに聖霊の風が吹くのでしょう。

「風は思いのままに吹きます。」ヨハネの福音書3章8節

2025年7月22日