No.9 旅がらすの苦悩

 神学校の卒業が近づいても、私には、“就職先”が見つかりませんでした。数人の女子学生たちは、それぞれ結婚に導かれ、牧師婦人として奉仕先が決まって行ったのですが、私はひとり、あてもなく残された状態でした。自分自身の理想としては「教育主事」というような肩書の立場で、どこかの教会で仕えたいと思ったのですが、当時(そして今もほとんど)日本の教会には、そういうポジションはなかったのです。
 そのことを校長先生に相談すると、「それでは、聖書通読運動で、小学生のための通読誌を作成して、諸教会に広める働きをしませんか」と勧められ、結局、その道でスタートを切ることになりました。
 ところが、どこの教会の牧師方も、「えっ、腹話術ができるの?!それなら、教会学校でやってよ。その後、通読のアピールをしたらいい」というご返事で、結局、私はどこへ行くにも、人形タカちゃんをスーツケースに入れて、旅をすることになったのです。故郷群馬に、「旅がらす」という銘菓がありますが、私は、自分がこんなふうにタカちゃんと旅をすることになるとは、思いもかけませんでした。
 さらに、しばらくすると、私にとっての一大事が起こったのです。
 前述したように、私の腹話術の先生は、「ロゴス腹話術研究会」の春風イチロー師匠ですが、そもそも寄席芸人の方でしたから、たとえ素人でも、試験に合格すると昇級し、最後は「春風〇〇」という芸名をくださって、上野本牧亭で芸名披露をする、という指導法でした。私は、そのことをあまり深く考えず、とにかく上手になりたい一心で、夢中でチャレンジし、あっという間に「春風マリヤ」という芸名をいただくことになってしまったのです。
 そのことが決まった日、真っ先に母に電話しました。
 「お母さん、私ね、腹話術で芸名をいただいて、上野本牧亭で芸名披露をすることになったよ。」
 けれども、母は「おめでとう」の一言も言わず、しばらく黙りこんでしまい、その後、ため息まじりにこう言いました。「お前はほんとにおかしな子だね…。」
 これには、私もすっかり気落ちしてしまいました。なぜなら、私は「芸名披露なら、お母さんは必ず見に来てくれる。だから、私が語るのは、イエスさまへの信仰の証しだ」と心を定め、『ふるさとのお母さん』という台本を書き、自作の歌まで加えていたからです。
 それに加えて、芸名披露に至るまで、教会の方々からも、神学校の校長先生からも、「何事が始まるんですか」と皮肉を言われたり、けげんな目で見られたりしました。
 幸い、当日は、母や叔母がかけつけ、教会の方々も来てくださり、大変楽しんでくださったのですが、帰り際、神学校のある先生が「きみぃ、道間違えたんじゃないの?」と言いながら、歯を見せてカラカラと笑って帰ったのを思い出します。
 果たして、私は道を間違えたのでしょうか。私の心には一挙に不安が広がりましたが、その後、あながちそうとも言えない出来事が続くようになりました。「春風マリヤ」という芸名は、その後の腹話術伝道を進めるうえで、大いに効力を発揮したからです。

 今から、40年以上も前のこと、当時は、どこの教会にも教会学校があり、子どもたちがたくさん集っていました。特に「腹話術子ども会」となると、小学校6年生まで、群れをなして押しかけてきたのです。どんなに小規模の教会でも、50人~100人、ある教会では、「子どもフェスティバル」と大々的に宣伝したところ、1,300人が集まりました。
 その頃までに、私は何か大きな力に背中を押されるようにして、仙台で「教会学校センター」という独立ミニストリーを開始していました。主な活動は、腹話術児童伝道と、教会学校教師訓練会です。ちょうど、仙台から東京までの新幹線が開通し、私は東北の教会だけでなく、関東地方まで、結構忙しく、ゲストとして奉仕をさせていただきました。
 同時に、腹話術伝道も単なる子ども会では飽き足らず、“ステージ伝道”をしようというビジョンが与えられ、公のホールを借りて公演会を開くことまで始めました。

  ところが、腹話術に関する思いが大きくなればなるほど、私の胸中は複雑になりました。「自分はなぜ腹話術などしているのか。神さまからの使命は、クリスチャンの教育ではなかったのか」という内なる声が聞こえてくるのです。「だからCS教師訓練は、信徒教育の一環でしょう」と自分をなだめてみても、おさまりません。私には、いつも2本のレールが見えて、自分はどちらかに乗らなければならないのに、どちらでもないと感じてしまうのでした。そんな葛藤を抱き続けていましたから、とうとうある日、私は自分の部屋でバッタリ倒れてしまったのです。旅がらすの10年が頓挫した瞬間でした。

 それでも今、私はこんなみことばを思い起こしています。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。―主のことば―」
イザヤ書55章8節

 腹話術は、神さまが私にふさわしいと与えてくださった“賜物”なのであって、それは「小羊を養う」という“使命”を全うするための“手段”にすぎなかったのです。
 あの、子どもがたくさん集まった時代、春風マリヤも若かったからこそ、人形タカちゃんと共に、みことばを伝えることができました。児童伝道も小羊を養う働きの一部です。2本に見えたレールも、実は1本で、人の思いを超えて主が備えて下さった道でした。
 苦悩をかかえ、葛藤しつつも、豊かに用いられた日々を感謝するばかりです。

2024年10月7日