No.15 バツイチ・ケリー誕生
アメリカには「自由の女神」が立っています。腹話術のコンベンションに参加した頃は、「さすが、アメリカ。何もかも自由で創造的で、個性的で、みんな発想が違うなあ」と感服したものでした。その点、日本は、「みんな同じ」を求めていて少しも自由がない、と思ったのです。人形の顔も同じものが多いし、演じ方も画一されていてつまらないと、かなりネガティブに捉えてしまいました。
確かに、腹話術の表現に関してだけ言えば、奇想天外で実に愉快なところがあります。
けれども、その他の価値観とか生き方という面ではどうなのでしょうか。必ずしも、すべてが進んでいるとは言えないかもしれません。
私は、アメリカに来たのだから、なるべく白人の教会に行ってみようと思い、英語の勉強もかねて、ある福音派の教会に通っていましたが、その教会では、礼拝前に「サンデースクール」がありました。子どもの日曜学校ではありません。大人のための「シングルズ(独身者)」や「シングルペアレンツ(ひとり親)」のクラスなどがあって、私は当然のごとく「独身者」のクラスに参加したのですが、驚きました。100人もの人々のおそらく半数以上は「離婚した独身者」だったのです。(30代~50代)
その教会の家庭集会に出た時、ある伝道者の方が「カリフォルニアでは、未信者の70%,クリスチャンの50%が離婚しているよ」と教えてくれて、これまたびっくりでした。
そういえば、私がアメリカ滞在中にお世話になった三つの家庭では、どこも家族の誰かが離婚経験者でしたっけ…。
今から30~40年も前の話です。日本では(特に教会では)、離婚したクリスチャンに対して、快く思えない人たちが多かったと思います。私もそのひとりでした。「こんなことが、これから日本でも多くなるのかなあ。それは困るなあ。聖書的でもないし」と心の中で裁くような思いになりました。神の前で結婚の約束をしたのに、離婚なんて“契約違反の罪”だよね、と断罪していたのです。
けれども、だんだんと離婚経験者と交わったり、つきあったりしていくうちに、「彼らも決して簡単に離婚したわけじゃない」ということが分かってきました。特に、相手に裏切られたり、子どもがいる人の場合は、別れてからもその心に負った傷は深いのだということが感じられてきたのです。私には少しずつ彼らに共感したり、同情したりする気持ちが芽生えてくるようになりました。(だからといって、離婚を肯定はできませんが。)
そんな私が、日本に帰ってきて、腹話術の新しいカエルのパペットのキャラクターを考えた時、ふっと「バツイチ・ケリー」という名前が思い浮かんだのです。今までの人形は、どちらかというと私(術者)以上に信仰があったり、聖書に好意的な態度を示していたのですが、ケリーは全くこの世的で、教会に行ったとしても、そう簡単に福音を信じない、ひねた心の持ち主です。でも彼は必至に生きていました。女房に逃げられ、ひとり娘を溺愛し、学力もないのに、留学させて“幸せ”な人生を送らせたいという親心で、一生懸命働いている会社員。(いつもスーツを着ています。)それでも時々虚しくなり、夜遅くまで飲んで公園のベンチに寝転んでしまうわびしい心の持ち主です。
私は、この「バツイチ・ケリー」に必死に“伝道”しようとするのですが、彼はいつものらりくらりとすり抜けてしまいます。「行くなら温泉教会(熱くも冷たくもなく丁度いい加減な)がいい」と言ったり「バツイチの経験を生かして、ホテルのキリスト教式結婚式の祝辞を言う仕事(そのお題は「結婚生活十戒」)で小遣い稼ぎをしたい」とのたもうたり…全く、いい加減なキャラなのです。
私はこのパペットを使って、いったい何を語りかけたかったのでしょうか。実は、クリスチャンの中途半端な信仰生活への警告や、なかなか信じようとしない人にも愛と忍耐をもって証ししようという促しだったり―まあ、そんな意図を込めていたのですが、その意図を鋭くキャッチして腹をかかえて笑う(自由な)教会もあり、反面、「なんだ、このぐうたらなカエルは」と腹を立てて不機嫌になる(几帳面な)教会もありました。おもしろいものです。
そんな中、私はこのケリーが、最後には回心するという台本を心に思い描いていたのです。それは、ヨハネの福音書4章に出てくる「サマリアの女」の箇所でした。
「ケリーさん、聖書にはすごい人が出てくるんですよ。バツ五の女ですよ。」
「えーっ そんなひどい奴がこの世にいますか。上には上がいるものですなあ。」
「すごいでしょ。この人がイエスさまに出会ってどうなったか想像できますか。」
「そりゃあ、どうにもならんでしょう。バツ五なんて最低です。」
「それがね、イエスさまは、この女の人がどういう生活をしているかわかっていて、『あなたには夫が五人いたが、今の人は夫ではない』て言い当てたんですよ。」
「くわばら、くわばら。女はすぐ逃げ出したでしょう。」
「いいえ、イエスさまはその女が愛に飢え渇いているのを知って、ひどく同情してね、あなたに必要なのは男の人ではなく、永遠のいのちですって。」
「えー、そんなもの、誰がくれるの?」
「愛のイエスさまが罪を全部赦して、天国に入れる永遠のいのちをくださるのよ。」
「ひゃー、そんな方なら、是非一度会ってみたいですなあ。」
2025年1月6日