No.11 天狗の鼻が折れる時
アメリカ留学を決意した時、私はもう腹話術はやめても良いと思っていました。それでも、10年間苦楽を共にしてきた人形タカちゃんだけは手離す気にもなれず、一応連れて行くことにしたのです。それが、その後の腹話術人生を大きく変えることになるとは夢にも思いませんでしたが―。 神学校の入学許可が下りてから、9月までか...
アメリカ留学を決意した時、私はもう腹話術はやめても良いと思っていました。それでも、10年間苦楽を共にしてきた人形タカちゃんだけは手離す気にもなれず、一応連れて行くことにしたのです。それが、その後の腹話術人生を大きく変えることになるとは夢にも思いませんでしたが―。 神学校の入学許可が下りてから、9月までか...
No.15「誓ってはなりません」
我が家で倒れ、4か月休養した後、私は腹話術10周年記念として、「春風マリヤふるさと高崎公演」を実施するという決断をしました。高校時代に父を亡くした者として、母校転居跡に建てられた文化会館ホールでの公演は、私自身の精一杯の信仰告白でした。 そうして、すべてを出し切った時、私の心に迫ってきたものは、「もう日...
神学校の卒業が近づいても、私には、“就職先”が見つかりませんでした。数人の女子学生たちは、それぞれ結婚に導かれ、牧師婦人として奉仕先が決まって行ったのですが、私はひとり、あてもなく残された状態でした。自分自身の理想としては「教育主事」というような肩書の立場で、どこかの教会で仕えたいと思ったのですが、当時(...
No.13「水の上を歩く」
「二人は話し合った。『道々お話くださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。』」 (ルカの福音書24章32節) 私の個人的経験ですが、かつて腹話術伝道集会(大人)に招かれた時、集会直前にある信徒の方に「今日は、さぞかしおもしろいお話をしてくださるのでしょうね」と言...
小学校の仕事を退職して、そのまま神学校へと考えましたが、神学校の入学試験に間に合わず、私はかろうじて“聴講生”として滑り込みました。もともと正規の学生として学びたかったのですから、翌年、2年に編入するためには、全科目、合格点を取っていなければなりませんでした。 当時、その神学校は男性ばかりで、私が入った...
No.14「忍耐がもたらす幸せ」
大学2年生の10月にバプテスマを受けた私の生活は、その日から一変しました。 そもそも、私が大学で声楽を習っていたことを知った教会員は、私を聖歌隊に招き入れようと手ぐすね引いて待っていて、受洗当日の夕礼拝から、私は聖歌隊メンバーとなって賛美したのです。また、大学卒業後は小学校の教員となる予定でしたので、翌年...
No.13「金持ちの罪と裁き」