
No.30 見えるようにしてください
礼拝メッセージの奉仕が始まってしばらくして、60歳の頃、私は自分の近眼がどんどん進んでいくようで不安になりました。まあ、父親がひどい近眼だったことは知っているし、私も中学3年生から右目の視力が落ち、大学時代以降、30年間コンタクトレンズを使用してきたのです。「それにしても、見えないなあ。私の近眼はどこまで...
礼拝メッセージの奉仕が始まってしばらくして、60歳の頃、私は自分の近眼がどんどん進んでいくようで不安になりました。まあ、父親がひどい近眼だったことは知っているし、私も中学3年生から右目の視力が落ち、大学時代以降、30年間コンタクトレンズを使用してきたのです。「それにしても、見えないなあ。私の近眼はどこまで...
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩篇119篇105節 私が53歳で腹話術師を現役引退した時、それから数年後に「礼拝メッセージ」を語る者になるなどとは思いもよりませんでした。日本の神学校を卒業してからというもの、10年間は、腹話術で教会学校関連の集会、教師訓練会が主なる対外奉仕でし...
私は、腹話術を通していったい何を求めてきたのでしょう。 もちろん、主の愛を証しすること、みことばを伝えること・・・。そのために、途方もなく難しい技術に挑戦し、何体ものキャラクターを生み出し、舞台のためには大変な財も投じました。けれども、現役時代の28年間では、結局は到達しえなかった“何か”が残っていました...
かつて、30代でアメリカに行った時、白人のクリスチャン相手に、「“Who are you?”と聞かれたら、何と答えますか?」と聞き回ったことがありました。もちろん「僕は〇〇だよ」と名前を即答してきたり、「私は看護師だわ」と職業を教えてくれたりした人がほとんどでした。ところが、ひとりの青年だけが「僕は“Ch...
2011年3月11日、午後2時46分。「東日本大震災」は突如として起こり、日本中を震撼とさせました。 その日、その時間帯に「ゴスペル腹話術クラブ」は、私という講師を迎えて最初の月例会を開いていたのです。1時半から始まった学びのちょうど休憩時間で、ティータイムのひとときでした。会場はかなりしっかりした教会...
2005年の5月に声帯を痛め、翌年腹話術師の現役引退となった私でしたが、その時は、「もう一生、腹話術をすることはないだろう」と、あらゆる情熱を失っていました。 そうこうするうちに、「十字架と地球の幻」を与えられ、「神さまのご計画はどこにありますか?」と祈りつつ、待ち望むようになりました。 再献身をした...
腹話術が出来なくなっても、父と母の問題が解決して私はすっかり安堵し、「ああ、神さまはこのような癒しのために、腹話術の賜物を引き上げなさったのだ」と腑に落ちる思いでした。 けれど、そういう心境でいられたのはほんの束の間でした。なぜって「それではこれからどのようにして生活していくの?」という現実問題が重くの...
確か、2006年の6月のある朝、デボーションの時だったと記憶しています。 腹話術伝道「ニュー・クリエイション」ミニストリーを閉じたばかりで、これからの道筋は何も見えない中、それでも、朝のデボーションとして聖書をスケジュール通り読むことだけは続けていました。 その日はガラテヤ書3章を開いていたのですが、8...
父の問題が、38年かかって解決した半年後のことです。今度は、母との関係と向き合わざるを得なくなりました。その時、私は54歳、母は89歳で健在でした。 私は4人兄弟の末っ子でしたから、やはりどこか甘えん坊だったのでしょう。無意識にも、器用な母にはずいぶんと洋服の“おねだり”をしました。大学生になるまで、母...
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」ルカの福音書23章34節 クリスチャンと言えども、地上にあっては苦難や試練はまぬがれません。そのような生活の中で、心身の弱い人、繊細な人々は、精神的に耐えられず、病んでしまうこともあるのです。そして、“クリスチャンの自死...