No.12 ステンドグラス
「イエスは再び人々に語られた。『わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。』ヨハネの福音書8章12節 周囲の反対を押し切って、“留学”した私でしたが、実のところは、“日本脱出”と言うべき精神状態でした。「もう日本には帰りたくない」というのが本音だったのです。...
「イエスは再び人々に語られた。『わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。』ヨハネの福音書8章12節 周囲の反対を押し切って、“留学”した私でしたが、実のところは、“日本脱出”と言うべき精神状態でした。「もう日本には帰りたくない」というのが本音だったのです。...
アメリカ留学を決意した時、私はもう腹話術はやめても良いと思っていました。それでも、10年間苦楽を共にしてきた人形タカちゃんだけは手離す気にもなれず、一応連れて行くことにしたのです。それが、その後の腹話術人生を大きく変えることになるとは夢にも思いませんでしたが―。 神学校の入学許可が下りてから、9月までか...
我が家で倒れ、4か月休養した後、私は腹話術10周年記念として、「春風マリヤふるさと高崎公演」を実施するという決断をしました。高校時代に父を亡くした者として、母校転居跡に建てられた文化会館ホールでの公演は、私自身の精一杯の信仰告白でした。 そうして、すべてを出し切った時、私の心に迫ってきたものは、「もう日...
神学校の卒業が近づいても、私には、“就職先”が見つかりませんでした。数人の女子学生たちは、それぞれ結婚に導かれ、牧師婦人として奉仕先が決まって行ったのですが、私はひとり、あてもなく残された状態でした。自分自身の理想としては「教育主事」というような肩書の立場で、どこかの教会で仕えたいと思ったのですが、当時(...
小学校の仕事を退職して、そのまま神学校へと考えましたが、神学校の入学試験に間に合わず、私はかろうじて“聴講生”として滑り込みました。もともと正規の学生として学びたかったのですから、翌年、2年に編入するためには、全科目、合格点を取っていなければなりませんでした。 当時、その神学校は男性ばかりで、私が入った...
大学2年生の10月にバプテスマを受けた私の生活は、その日から一変しました。 そもそも、私が大学で声楽を習っていたことを知った教会員は、私を聖歌隊に招き入れようと手ぐすね引いて待っていて、受洗当日の夕礼拝から、私は聖歌隊メンバーとなって賛美したのです。また、大学卒業後は小学校の教員となる予定でしたので、翌年...
私が高校一年に進級してから、我が家の空気がこれまで以上に重苦しくなってきました。3歳上の兄が、大学入試に不合格となり、東京の予備校に通うため、下宿生活になったためでしょうか。父は、いつも黙って宙に向かって人差し指で数字を書いていました。おそらく、お金の計算をしていたのでしょう。父と母が何やら話し合ったり、...
我が家は、私が物心つく頃から“キリスト教”的なムードはありましたが、父は自分ひとりで教会に通っていましたし、子どもたちを「教会学校」に連れていってくれることもありませんでした。(尤も、終戦直後の教会で、「教会学校」などはなかったかもしれませんが。) そんなわけで、私が最初に聖書のみことばに出会ったのは、...
人間とは実に罪深いものです。特に親子の問題は、どこの家庭でも、大なり小なりあることでしょう。もちろん、お互いに言い分があって、子どもからすれば「私は親にこれだけ傷つけられた」と言い張る理由があり、親からすれば「この子は本当に育てにくい子だった」と言える根拠もあるのです。 私自身は、親になった経験がありま...
聖書には、結婚の定義として、「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」(創世記2章24節)とありますが、率直なところ、私の両親は、夫婦というより、同志であったように思えます。 私たち子ども4人は、小学生の頃から、全員、父にこう言われて育ちました。 「うちはな、お金がない...